足利市は小京都と呼ばれ、その美しい街並や、
歴史的建造物、文化財、伝統行事などが京都とよく似ています。
また、南北朝時代に足利将軍家が栄えた歴史ある街であり、
現在でも多くの歴史的建造物が残っています。
例えば、史跡 足利学校や国宝 鑁阿寺(ばんなじ)などは、
国の重要文化財に指定されています。
また、市内には多くのお寺や神社もあり、その建築や庭園も美しく、
多くの観光客に愛されています。
そこで、本稿では、足利市に在住する筆者が、足利市内の寺院について
一次資料を重視し、皆様にお伝えすることを目指しています。
そして、微力ながら、皆様が足利市にお越しになる際のお手伝いとなることを
志しています。
目 次
- 1 【① 鶏足寺】:足利市小俣町
- 2 【② 養源寺】:足利市板倉町
- 3 【③ 東光寺】:足利市葉鹿町
- 4 【④ 最勝寺】:足利市大岩町
- 5 【⑤ 常念寺】:足利市通七丁目
- 6 【⑥ 福嚴寺】:足利市緑町一丁目
- 7 【⑦ 三宝院】:足利市通七丁目
- 8 【⑧ 長林寺】:足利市
- 9 【⑨ 法玄寺】:足利市巴町
- 10 【⑩ 高福寺】:足利市家富町
- 11 【⑪ 利性院・えんま堂】:足利市井草町
- 12 【⑫ 鑁阿寺】:足利市家富町
- 13 【⑬ 徳正寺】:足利市本城3丁目
- 14 【⑭ 法楽寺】:足利市本城3丁目
- 15 【⑮ 樹覚寺】:足利市本城3丁目
- 16 【⑯ 心通院】:足利市本城1丁目
- 17 【⑰ 光明寺】:足利市但馬町
- 18 【⑱ 浄因寺】:足利市月谷町
- 19 【⑲ 光得寺】:足利市菅田町
- 20 【⑳ 善徳寺】:足利市大町
- 21 【㉑ 竜泉寺】:足利市助戸町
- 22 【㉒ 萬福寺】:足利市大沼田町
- 23 【㉓ 徳蔵寺】:足利市猿田町
- 24 【㉔ 正善寺】:足利市常見町
- 25 【㉕ 寺岡山元三大師】:足利市寺岡町
【① 鶏足寺】:足利市小俣町

大同4年(809)東大寺の定恵上人が世尊寺という寺を
建てたのが鶏足寺の始まりです。その後、比叡山の円仁上人(慈覚大師)により寺域が
拡大・整備されました。天慶2年(934)、平将門の乱平定に際し常裕法印は
秀郷の請いをうけ将門調伏の修法を行いました。功により秀郷は将門を倒し、寺も鶏足寺と改められ、
寺領をふやし、寺の基礎を不動のものとしました。(後略)昭和62年4月 財団法人 足利市民文化財団
足利市教育委員会:境内由緒書より(抜粋)
修法:密教で行う加持祈祷(かじきとう)の法。
心に観念をこらし本尊と一体化することによって、
目的とする願いを達成しようとするもの。

<鶏足寺:基本情報>
正式名称 | 佛手山 金剛王院 鶏足寺(けいそくじ) |
---|---|
宗 派 | 真言宗 豊山派 |
御本尊 | 釈迦如来 |
所在地 | 〒326-0141 足利市小俣町2748番地1 |
電 話 | 0284-62-0276 |
社務所 | 9:00~12:00 13:00~16:00 |
アクセス | JJR両毛線小俣駅:徒歩約23分 R両毛線足利駅:車約25分 東武伊勢崎線駅足利市駅:車25分 北関東自動車道足利IC:30分 北関東自動車道太田桐生IC:20分 東北自動車道佐野藤岡IC:65分 |
駐車場 (無料) |
本堂東(第1駐車場):50台 参道左前(第2駐車場):40台 |
<将門の乱と「鶏足寺」の誕生>

上述のとおり、下総国(千葉県北部)で勢力を拡大していた
平将門が、板東全域を巻き込んだ大規模な反乱を起し、
朝廷に反旗を翻しました。
朱雀天皇の命を受け、下野の押領使・藤原秀郷は、兵三千騎を
率いて討伐に向かいました。
しかし、当時、隆盛を誇った将門の軍勢は強大で、
秀郷の討伐軍は苦境に立たされました。
そして、秀郷の乞いを受けた法印は、
勅願によって法を修したのでした。
土で作った将門の首を供え、百人の僧を従え、17日間、
昼夜を問わず、修法を続けました。

満願の日、さすがに疲れ果てた法印が、眠気に襲われ
うとうとしていると、三本足のにわとりが、血にまみれた
将門の首を踏まえて、高らかにときの声をあげる夢をみました。
はっとわれにかえった法印が壇上を見ると、土首の三ヵ所に
にわとりの足跡がついています。
法印は「調伏は成功した」と、なおも一心に修法を続けました。
すると、今度は七・八歳の童子がどこからともなく現れて
「今、秀郷が将門を討取った」と告げたかと思うと、たちまち
その姿を消して見えなくなりました。

お告げの通り、そのとき将門は討取られたのでした。
やがて秀郷は将門の首級を世尊寺に持ち帰り、
戦勝のお礼参りをした後、調伏に用いた土首をそろえて、
京都の朝廷に報告しました。
この霊験により、世尊寺は「鶏足寺」と改められ、
勅願・宣旨をはじめ、五大明王像・「両界まんだら」などが
朝廷から下賜されました。
鶏足寺:https://keisokuji.jp/ より
<鶏足寺:参道・境内>


山門の左手側に、第2駐車場があります。

<鶏足寺:勅使門(ちょくしもん)>

本堂の前にある山門は、重要文化財の嫡子門です。
鶏足寺 勅使門
勅使門とは、天皇の使者である勅使が参向する
際に通る門です。(中略)正和年間(1312~1316年)の建造という寺伝のとおり、
鎌倉末期の面影を残している貴重な古建築です。足利市教育委員会 由緒書より

<鶏足寺:護摩堂>

<鶏足寺:閻魔堂>


<鶏足寺:七福神の池>

池に架かる橋を渡ると、池の中央に七福神が
鎮座しています。

<鶏足寺:サルスベリ>

4本のサルスベリが、重要文化財に指定されています。
平成14年11月14日指定。

樹齢200~300年のサルスベリで、
太さが1mを超えるものは珍しいとされています。
【② 養源寺】:足利市板倉町

養源寺は、約850年前に源義家の三男、
足利義国を開基として泰亀円了和尚を迎えて
開創されたと伝えられています。
養源寺は、他の寺院(足利氏ゆかり)が鑁阿寺近辺か
北部~北東部nあるのですが、かなり得意な場所に
建立されています。
<養源寺:基本情報>
名 称 | 白華山 養源寺 (はっかさん ようげんじ ) |
---|---|
宗 派 | 臨済宗 妙心寺派 |
御本尊 | 釈迦如来 |
所在地 | 〒326-0102 足利市板倉町155番地 |
電 話 | 0284-62-1068 |
アクセス | JR両毛線小俣駅:徒歩約30分 JR両毛線山前駅:徒歩40分 |
駐車場 (無料) |
参道:右側に専用駐車場 |
備 考 |
<養源寺:本堂>


<養源寺:釈迦三尊像>
木造 釈迦三尊像(重要文化財)主尊:釈迦如来坐像
脇侍:左・文殊菩薩騎獅像 右・普賢菩薩騎象像
主尊:釈迦如来坐像 像高36.0vm 江戸時代
釈迦如来は、額に二重白毫で、両手の掌を上にし、
左手を上、右手を下にして膝上に安じ、ともに
蓮華座に座っています。
白毫:仏の眉間のやや上にある白い毛。
右巻に丸まり、伸すと1丈5尺(約4.5m)あると
されています。
光背は飛天光で頭光身光を具しています。
飛天光:表面に何体もの天女(飛天)が並んでいる光背。
頭光身光:仏像の頭と体から光がでているように見せる
光背。

定印に「七條大仏師 大■■堪作之」の朱書銘が
あります。底面には「延宝八年八月壱日 七條大仏師 作之
清水大輔」の墨書銘 (中略)普賢像(無銘)も同様の大仏師の作とみられます。
足利市教育委員会 境内由緒書 より
<養源寺:地蔵堂>


足利市重要文化財(彫刻)
総高 133.0cm 像高 99.0cm右手を上げ、左手に宝珠くぉもち、輪光を具して
蓮華座上に立っています。宝珠地蔵であり、白毫、玉眼、頸飾と瓔珞、
僧衣をまとっています。
瓔珞:珠玉や貴金属を編んで、頭・首・胸に
かける装身具。仏菩薩などの身を飾るもの。

台座は髙と框と唐草文様の彫刻、その上に
魚鱗茸の連弁を重ねています。(中略)
連弁:蓮の花びらの形に加工した木材に漆を塗り、
その上に金箔を押したもの。台座の部品。
台座の唐草文様彫刻の底面びは墨書銘があり、
「貞享五年六月吉日」などが判読されます。
(以下略)
足利市教育委員会
貞享五年:1668年
<養源寺:観音堂>



足利三十三観音:札所3番
ポックリ観音として信仰を集めています。
<養源寺:鐘楼>
鐘楼
鐘楼から再び本堂前の参道を下り、青面金剛を過ぎ
池沿いの坂道を上ると、正一位稲荷大明神があります。
養源寺:全景
珱源氏は大自然に囲まれた、すばらしい古刹です。
養源寺の詳細は、
足利氏ゆかりの社寺散歩コース:12名所の御案内
13 【足利氏ゆかりの社寺:⑫ 養源寺】
を御覧ください。
【③ 東光寺】:足利市葉鹿町

足利市指定文化財を3点所蔵する寺です。
江戸時代後期(1834年)作の木造大黒天立像が
祀られています。大日堂にある鉦は、天明5年(1785)に作られたもので、
天明鋳物の歴史上、たいへん貴重です。
(直径:23.5cm、高さ9.5cmの青銅製)足利七福神めぐり社寺の一つで、大黒天の寺です。
* 天明鋳物:佐野市天明で作られた鋳物。
東光寺:本堂
<東光寺:基本情報>
正式名称 | 医王山 東光寺 (いおうさん とうこうじ) |
---|---|
七福神 | 大黒天<五穀豊穣・福徳海運> |
所在地 | 〒326-0143 足利市葉鹿町224 |
電 話 | 0284-62-0473 |
アクセス・福厳寺から | 6.2km 自転車30分 |
アクセス・その他 | 北関東自動車道 足利IC:15分 北関東自動車道 太田桐生IC:15分 JR小俣駅:タクシー5分 |
駐車場 | あり(無料) |
<東光寺:境内>


東光寺:山門から見る本堂
東光寺の詳細は、
足利七福神めぐり「足利レンタサイクル・西:5時間コース
3 足利七福神めぐり:②【東光寺】
を御覧ください。
【④ 最勝寺】:足利市大岩町
毘沙門天本堂
(間口3間、奥行4間、木造入母屋造り)
天平17年(745年)、行基菩薩により、
大岩山毘沙門天:大岩山多聞院最勝寺は
開山されました。翌年の天平18年(746)に、聖武天皇の
勅願により、本堂を含む諸堂が建立されました。

大岩山毘沙門天、多聞院最勝寺の建物は、
天平17年(745)の開山以来、落雷等による
火災で焼失、再建を繰り返してきました。文安4年(1447)5月の雷火により、
山門を残し、諸堂の全てを焼失しています。その後、再建されましたが宝暦7年(1757)に
本堂が再び焼失しました。宝暦12年(1762)に再建され、現在に至ります。
<最勝寺:基本情報>
正式名称 | 最勝寺 |
---|---|
宗 派 | 真言宗 豊山派 |
御本尊 | 毘沙門天 |
所在地 | 〒326-0841 足利市大岩町264番地(最勝寺本坊) 足利市大岩町570番地(毘沙門天本堂) |
電 話 | 0284-21-8885(本坊) 0284-21-0211(毘沙門天本堂) |
社務所 | 9:00~12:00 13:00~16:00 |
アクセス | R両毛線足利駅:車約20分 東武伊勢崎線駅足利市駅:車20分 北関東自動車道足利IC:30分 北関東自動車道太田桐生IC:25分 東北自動車道佐野藤岡IC:60分 |
駐車場 (無料) |
参道前 |

<毘沙門天:山王権現社>
山王権現社(桃山時代:大岩山内で最古)
本堂の西側に、大黒天とともに、
山王権現社が鎮座しています。
聖武天皇の御字、行基上人が大和国、菅原寺に
滞在した際のことです。行基上人は、聖徳太子作、閻浮檀金(えんぶだごん)で
できた毘沙門天像を常に所持していました。そして、関東地方へ行き霊地を開き、この毘沙門像を
安置して衆生を救済したいと誓っていました。ある夜の夢に、山王権現が現れ、「関東の足利の
霊山に登れば、所願が叶う」とし、行基菩薩を
大岩山のある足利の地へといざないました。
* 閻浮檀金(えんぶだごん):純金のこと。
毘沙門天像(ご本尊)は、一寸八分(約5.4cm)で、
閻浮檀金というのは、梵語で閻浮堤の大森林を流れる
河で産する砂金のこと。
<毘沙門天:御神木>

本堂の東側に、ひときわ目立つスギがあります。
(スギの左手側奥に、公衆トイレがあります)
<毘沙門天:スギについて>
項 目 | 単位(m) 樹齢(年) |
---|---|
太 さ | 目通り 7 |
高 さ | 29 |
枝張り | 東西 16 南北 33 |
樹齢’推定) | 約 600 |

(足利市重要文化財:天然記念物)
毘沙門天のスギは、市内最大です。
枝は、ほとんどが下に曲って、逆さスギを
思わせるような形です。落雷にあったらしく、幹の南西側の一部が
下から上まで縦に裂けた跡があり、頂上の
部分も枯れ落ちています。樹皮は厚くて、縦に大きく亀裂があり、
いかにも古木らしい様相です。樹勢はなお盛んで、葉の緑も若々しいです。
昭和40年3月1日 指定 足利教育委員会
<毘沙門天:絵馬、おみくじ>



<毘沙門天:大黒天>

毘沙門天本堂の西側に、山王権現社とともに、
大黒天が祀られています。

大黒天を右手側にして、西に進むと、
簡易トイレがあり、「暖地性植物自生地」の
案内板があります。
<毘沙門天:暖帯性植物自生地>

足利市は、暖帯植物のほぼ北限に位置しています。

男坂から臨む風景男坂から、足利市の街並を眺めていると、
毘沙門天の鐘の音が聞こえてきます。
毘沙門天(最勝寺)の詳細は、
大岩山毘沙門天(最勝寺)足利市の霊山:修験社気分で山登り!
を御覧ください。
【⑤ 常念寺】:足利市通七丁目

常念寺:本堂の須弥壇
須弥壇の中央奥に、御本尊の阿弥陀如来坐像が
安置されており、前方はタイの仏像が鎮座しています。
常念寺は、平安末期、康治2年(1143)
の創建と伝えられ、時宗の宗祖 一遍上人の
法孫遊行中、荒廃した寺の再建に尽力されました。本堂は、昭和61年に新築され、布教活動の場として
面目を一新しました。すぐれた仏像の中に、仏法護持の毘沙門天が、
威風堂々のお姿で祀られ、足利市内の反映を
守護しています。財宝福徳、子孫繁栄を授け、北門の守り神です。
本堂の厨子には、素戔嗚尊(すさののみこと)、
稲田姫命(くしなだひめみこ)御神像二体があります。スリランカの仏舎利奉安の寺です。
毎年、8月16日 大施餓鬼を厳修します。
施餓鬼(せがき):餓鬼道で苦しむ衆生に、食事を施して
供養することで、特定の先祖への供養でなく、
広く一切の諸精霊に対して修されます。
<常念寺:基本情報>
正式名称 | 称名山 常念寺 (じょうねんじ) |
---|---|
七福神 | 毘沙門天<除災招福・心願成就> |
所在地 | 〒326-0814 足利市通七丁目3094 |
電話 | 0284-21-2016 |
アクセス・西宮神社から | 1km 徒歩13分 |
アクセス・その他 | JR足利駅:車5分 徒歩23分 東武足利市駅:車5分 徒歩24分 北関東自動車道 足利IC:15分 北関東自動車道 太田桐生IC:20分 東北自動車道 佐野藤岡IC:50分 |
(駐車場) | あり(無料) |
<常念寺:本堂>




常念寺は保育園を設けており、お釈迦様の誕生を祝う
仏教の行事である「花祭り」(4月8日)が行われています。
* 「花祭り」:灌仏会(かんぶつえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、
降誕会(ごうたんえ)、浴仏会(よくぶつえ)とも。
<常念寺:境内>


常念寺のすぐ西隣には、これから参拝する
福厳寺の子安観世音菩薩が安置されています。
福厳寺本堂は、ここから離れたところにありますので、
よろしかったら、子安観世音菩薩を最初に参拝すると
よいでしょう。
常念寺の詳細は、
足利七福神めぐり「徒歩最短:3時間コース
7 足利七福神めぐり:⑤【常念寺】
を御覧ください。
【⑥ 福嚴寺】:足利市緑町一丁目

福厳寺の寺伝によれば、伊豆走場山般若寺の
僧「理真」(りしん:足利義兼が帰依していた高僧)
により開山されました。源平合戦に活躍した、足利義兼の妻「時子」が懐妊の折、
姉の「政子」の依頼により、理真が足利に来て、
当福厳寺で男子変成の祈祷(きとう)をしたと伝えられます。境内に子安観音があります。
男子変成:変成男子(へんじょうなんし)によります。

福厳寺の本尊 釈迦如来坐像は、15世紀ごろ
(室町時代)の作です。
法量は、像高:52.5cm、
膝張り:40.2cm、坐奥:37.3cm、
光背総高:93.5cmです。
釈迦如来坐像は、本堂中央の須弥壇(しゅみだん)上に
座しています。本体は檜材寄木造り、表面黒漆塗りで、
眼には玉顔が入れられています。足利市教育委員会 より抜粋
<福厳寺:基本情報>
正式名称 | 多宝山 福厳寺 (ふくごんじ) |
---|---|
七福神 | 布袋尊<福徳円満・家内安全> |
所在地 | 〒326-0816 足利市緑町一丁目3270 |
電話 | 0284-21-6990 |
アクセス・常念寺から | 230m 徒歩4分 |
アクセス・その他 | JR足利駅:車5分 徒歩25分 東武足利市駅:車7分 徒歩20分 北関東自動車道 足利IC:15分 北関東自動車道 太田桐生IC:15分 東北自動車道 佐野藤岡IC:50分 |
(駐車場) | あり(無料) |
<福厳寺:境内>
布袋尊像

福巌寺:六地蔵堂


延命セキ地蔵尊をとり囲むように、小さな諸仏が
数多く安置されています。
それぞれが魅力的な諸仏ですが、いつも筆者の目にとまるのは、
色鮮やかな仏画です。



<福厳寺:子安観世音菩薩>
常念寺の西隣には、福嚴寺の子安観世音菩薩堂があります。



福嚴寺の詳細は、
足利七福神めぐり「徒歩最短:3時間」コース
8 足利七福神めぐり:⑥【福嚴寺】
を御覧ください。
【⑦ 三宝院】:足利市通七丁目

三寶院(浄土宗)舜智上人開創
一位置 本市通7丁目東、山麓にあり。上野國新田郡
太田町大光院の末寺なり。本尊は、阿弥陀如来、現住は、第27世釆澤圓晁。
檀家250戸なり。
寺傳に「當寺は、四條天皇の延應元年(紀元1897年)
の創立に係り、開山は、舜智上人なり。往古は、今の境内の前面にありしが、度々火災に罹りしを以て、
後西天皇の寛文2年(紀元2322年)、終に現地に移れり。後略
足利市役所(編纂)(1928), 第三篇 第二章 佛寺
足利市役所代表者 大給 新・永倉 牧太 足利市史 上巻の二
永倉活版所 pp.1,221
<三宝院:基本情報>
名 称 | 供養山 三宝院 |
---|---|
宗 派 | 浄土宗 |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
所在地 | 〒326-0814 足利市通七丁目3094番地 |
電 話 | 0284-21-5012 |
下馬橋古趾から | 徒歩:4分 |
アクセス | JR両毛線足利駅:徒歩約24分 東武伊勢崎足利市駅:徒歩約18分 東武伊勢崎野州山辺駅:徒歩約19分 |
駐車場 (無料) |
●あり:山門前 |
特記事項 | 御朱印は、発行されていません。 |

御本尊は、阿弥陀如来です。

三宝院の詳細は、
足利まちなか寺院:高福寺、法玄寺、三宝院の御案内
3 【足利まちなか寺院:三宝院】
を御覧ください。
【⑧ 長林寺】:足利市

長林寺は、室町時代の文安5年(1448)
足利長尾氏の初代影人の創建によるもので、
大見禅竜禅師が開山し、長雲寺と称しました。のちの享徳2年(1453)竜沢山長林寺と
現在の名に改めました。長尾氏代々の菩提寺となり、寺運も隆盛しましたが、
戦国時代末期、小田原北条家に付いた足利長尾氏は、
小田原の陣で、北条家没落と命運を共にしました。そのため、長林寺も一時衰微しますが、元和元年(1615)に
再建され、さらに元禄年間(1688~1704)に別格地となり、
明治維新まで多くの僧侶の道場となりました。長林寺由緒書より抜粋
朝雲寺:勧農城(岩井山)の麓(ふもと)にありました。
岩井山については、
「渡良瀬橋」と「渡良瀬川」に架かる12の橋
14 渡良瀬川に架からない【岩井橋】の神社
を御覧ください。
<長林寺:基本情報>
正式名称 | 大祥山長林寺 (だいしょうざんちょうりんじ) |
---|---|
宗 派 | 曹洞宗 |
御本尊 | 聖観世音菩薩 |
所在地 | 〒326-0817 足利市西宮町2884番地 |
電話 | 0284-21-5636 |
三宝院から | 徒歩:11分 |
アクセス・その他 | JR足利駅:車5分 徒歩15分 東武足利市駅:車5分 徒歩15分 北関東自動車道 足利IC:15分 東北自動車道佐野藤岡IC:50分 |
(駐車場) | 数台あり(無料) |
<長林寺:境内>




長林寺の詳細は、
足利七福神めぐり「徒歩最短:3時間」コース
5 足利七福神めぐり:③【長林寺】
を御覧ください。
【⑨ 法玄寺】:足利市巴町

鎌倉幕府を創設した源頼朝の妻政子の妹が、
北条時子です。時子は足利義兼の妻で、足利の地に住んでいました。
義兼が鎌倉に滞在した折時子は、側女の讒言により
密通の嫌疑をかけられ自害しました。義兼の後妻の子足利義純は、義理の母である時子の
菩提のために寺院を建立することを決意し、当山が
真言宗の寺として足利に創建されました。浄土宗 法元寺 (境内掲示より)
<法玄寺:基本情報>
名 称 | 帝釈山 智願院 法玄寺 |
---|---|
宗 派 | 浄土宗 |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
所在地 | 〒326-0805 足利市巴町2545番地 |
電 話 | 0284-21-2790 |
アクセス | JR両毛線足利駅:徒歩約17分 東武伊勢崎足利市駅:徒歩約17分 東武伊勢崎野州山辺駅:徒歩約28分 |
駐車場 (無料) |
境内 |
<法玄寺:北条時子姫五輪塔>
北条時子姫五輪塔
時子の法号は智願院殿、義純の法号は法玄大禅定門でした。
また義純の後妻は未亡人で、先夫畠山重忠は
帝釈天の化身との説がありました。そこで当山は、帝釈山、智願院、法玄寺となりました、
当山はは、戦乱の世を経て荒廃していました。
江戸幕府が開かれ平和な世になると、足利では
地元の有力者である小林十郎左衛門が代官となりました。十郎左衛門は法玄寺の再興をを決意し、慶長11年(1606)
当山を浄土宗の寺として再建しました。平成21年7月 浄土宗 法元寺 (境内掲示より)
鑁阿寺:蛭子堂(ひるこどう)
北条時子を祀る鑁阿寺境内にある蛭子堂です。
法玄寺の詳細は、
足利まちなか寺院:高福寺・法玄寺・三宝院の御案内
2 【足利まちなか寺院:法玄寺】
鑁阿寺:蛭児堂の詳細は、
国宝「鑁阿寺」:地元足利から御紹介「歴史と伝説の散歩道」
4 【国宝:鑁阿寺】<鑁阿寺:おひるこさま>
を御覧ください。
【⑩ 高福寺】:足利市家富町

高福寺(曹洞宗)宗牯和尚創建
一位置
本市西根に在り。祥林山と號す。長林寺末、本尊は、
阿弥陀如来。檀徒二百六十餘戸あり。二沿革
後天王の萬治二年(紀元二三一九年)五月十五日、
牛堂宗牯和尚、長林寺第十二世創建。かつて火災に罹り、
舊記古録を存せず。現在は第十六世武井周峯なり。三什賓
近衛三藐院筆「趙州狗子」の書、田崎草雲筆と称する
龍頭観音(墨繪)の軸物、及び故司法大臣横田千之助の書あり。足利市役所(編纂)(1928), 第三篇 第二章 佛寺
足利市役所代表者 大給 新・永倉 牧太 足利市史 上巻の二
永倉活版所 pp.1,213
<高福寺:基本情報>
名 称 | 祥林山 智願院 高福寺 |
---|---|
宗 派 | 曹洞宗 |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
所在地 | 〒326-0803 足利市家富町2523 |
電 話 | 0284-21-6206 |
アクセス | JR両毛線足利駅:徒歩約15分 東武伊勢崎足利市駅:徒歩約16分 東武伊勢崎野州山辺駅:徒歩約29分 |
駐車場 (無料) |
● たかうじ君広場駐車場:35台 (うち軽自動車11台)無料足利市営巴町駐車場:36台 ● 通二丁目広場駐車場 |
<高福寺:境内>

高福寺;六地蔵

本堂の右手には、六地蔵、思推菩薩、蓮華手菩薩などの
石仏があります。


<高福寺:武井哲應和尚と相田みつを>

高福寺に贈られた「相田みつを美術館のお知らせ」
NHKラジオ第2
「声でつづる昭和人物史~相田みつを」
こころの時代で放送された音源が2週にわたって放送されました。
平成4年(1992)12月17日放送から
「わが師を語る 武井哲應の教え」
● 第1回 3月7日(月)PM8:30~PM9:00
* 再放送 3月14日(月)AM:10:00~AM10:30
自分の人生哲学の根っこになったのは、戦死した
2人の兄と師事した 武井哲應で、しっかりと自己を見つめる
禅の教えを学んだことなど・・・。
● 第2回 3月14日(月)PM8:30~PM9:00
* 再放送 3月21日(月)AM10:00~AM10:30
武井哲應師の教えとは、「本当の公平とは、受ける側が
公平感を味わうもの・・・」とか、
毎日の生活の中では「人のせいにしない」
「勝ち負けを考えない」といった生き方が大事だという話を
相田みつをの貴重な肉声で放送します。
インターネット(ラジオ配信アプリ)で
1回目より聴く事ができます。 NHK らじるらじる 聴き逃し
高福寺 令和4年3月18日

高福寺を示す歩行者案内板「心のみちしるべ」に記された
書道家「相田みつを」の書です。
高福寺周辺の「心のみちしるべ」4箇所に、「相田みつを」の
書が掲示されています。
詳細は、足利まちなか散策『心のみちしるべ』:回遊サインの名言を解説
を御覧ください。
高福寺の詳細は、
足利まちなか寺院:高福寺・法法玄寺・三宝院の御案内
1 【足利まちなか寺院:高福寺】
を御覧ください。
【⑪ 利性院・えんま堂】:足利市井草町
利性院閻魔大王の門
利性院閻魔堂の門は、鑁阿寺の西堀(井草通り:県道208号)に
面しており、閻魔堂は、井草通り商店街の路地を入ったところにあります。


<利性院閻魔堂の縁起:境内由緒書>
利性院(閻魔堂)は、瑠理山醫王寺と号し、
本尊は薬師如来で、巴町にある法玄寺の末寺です。現在は、高さ約2mの閻魔大王坐像が正面に奉られ、
井草の閻魔様と親しまれています。毎年1月16日・8月16日には大祭が行われ、
「交通安全」や「学業成就」などに御利益があり、
近隣の信仰の厚い方々で賑わっています。当お寺は、幾度かの火災で記録が消失してしまい、
詳しいことは分かっていませんが、古老の云い伝えや
僅かな資料によりますと、明暦年間(1655~1657)勧譽善察和尚の創建と伝えられ、明治25年2月の
大火においては堂宇が焼失したのにもかかわらず、
信徒の方の機転により閻魔様の頭部のみが救われたと
言い伝えられています。また、明治の大火で焼失した堂宇は、信徒等の寄付により、
同年中に再建され、平成21年8月には、法玄寺住職や
信徒の方々の尽力により平成の閻魔堂が完成しました。お堂の西側には、珍しい六地蔵石灯籠や五輪塔等の
石造物が奉られており、往時の信仰の深い方々の賑いが
想像されます。閻魔大王は、中国の道教の神で地蔵菩薩の化身とも言われ、
地獄に墜ちた方でも地蔵菩薩が救い出すと云う信仰です。境内由緒書 より
<利性院(閻魔堂):基本情報>
名 称 | 瑠璃山 醫王寺 利性院 (法玄寺の末寺) |
---|---|
宗 派 | 浄土宗 |
御本尊 | 薬師如来 |
所在地 | 〒326-0811 足利市井草町2388 |
大 祭 | 1月16日 8月16日 |
電 話 | 0284-22-0181(ウチダメガネ) |
参観・開館時間 | 10:00~18:30 ウチダメガネ(定休日) 水曜日・第3日曜日 |
料 金 | 無料 |
アクセス | 東武伊勢崎足利市駅:徒歩約10分 JR両毛線足利駅:徒歩約10分 北関東自動車道足利IC:訳10分 東北自動車道佐野藤岡IC:訳30分 |
駐車場 (無料) |
● 閻魔堂:2台 ● 足利市通二丁目多目的広場 ● たかうじ君広場駐車場 終日開放 35代(内:軽自動車11台) https://www.ashikaga-kankou.jp/access/parking |
特記事項 | 御朱印・御札・御守は、 ウチダメガネで受けられます。 |
<利性院閻魔堂:1月大祭>

毎年1月16日と、8月16日には大祭が開催されます。
この両日は閻魔様もお休みで、地獄の釜の蓋が開く日と
いわれています。

リズミカルな太鼓の響きに合わせて、
家内安全・無病息災・厄難消除・学業成就の
御祈願が行われます。

利性院(閻魔堂)は、瑠理山醫王寺と号し、
本尊は薬師如来で、巴町にある法玄寺の末寺です。
大祭は、法元寺住職 和田幸信上人と、従兄弟で長野の
長谷寺(ちょうこくじ)住職 小林育道上人により挙行されました。
足利市巴町:法玄寺の詳細は、
足利まちなか寺院:高福寺・法玄寺・三宝院の御案内
を御覧ください。

利性院閻魔堂の詳細は、
利性院(えんま堂):地元足利から御紹介「歴史と伝説の散歩道」
を御覧ください。
【⑫ 鑁阿寺】:足利市家富町

鑁阿寺(呻吟宗)足利上総介義兼開基
一位置
金剛山鑁阿寺は、足利市家富町に在り。真言宗豊山派に
属する特殊の本山にして、一山地なり。本尊は、大日如来・薬師如来・千手観音の三尊なり。
檀家なし。

二沿革
第一創建年代より、室町幕府時代に至る。一鑁阿寺起源
足利陸奥判官義家の子、上総介義兼、北条時政の
女時子(頼朝の室政子の妹)を娶り、左馬頭義氏を生む。源頼朝、兵を伊豆に起すや、義兼之を援く。
文治5年(起元1849)義兼、其の居館の貴台に、
持佛堂一宇(後の大御堂)を建立す。(以下略)足利市役所(編纂)(1928), 第三篇 第二章 佛寺
足利市役所代表者 大給 新・永倉 牧太 足利市史 上巻の二
永倉活版所 pp.1,141~1,142
<鑁阿寺:基本情報>
正式名称 | 金剛山 仁王院 法華坊 鑁阿寺 |
---|---|
宗 派 | 真言宗 大日派 |
御本尊 | 大日如来 |
所在地 | 〒326-0803 足利市家富町2220 |
電 話 FAX |
0284-41-2627 0284-41-1136 |
アクセス | 北関東自動車道 足利ICから10分 JR両毛線足利駅から徒歩10分 東武足利市駅から15分 |
公式URL | http://www.ashikaga-bannaji-org/ |
営業時間 | 午前9:00~午後4:00 |
収容台数 | 乗用車50台 |
駐車料金 | 無料 |
<鑁阿寺:境内>





<鑁阿寺:文化財>
文化財 | 指定物品 |
---|---|
国 宝 | 本堂(大御堂) |
国指定重要文化財:建造物 | 鐘楼、経堂(一切経堂) |
〃:書 跡 | 紙本墨書 仮名法華教、 鑁阿寺文書(615通) 紙本墨書 魯論抄 |
認定重要美術品:工芸品 | 青磁浮牡丹 香炉・花瓶 金銅鑁字御正体 |
栃木県指定文化財:建造物 | 多宝塔、桜門、東門及び西門 御霊屋、太鼓橋 |
〃:天然記念物 | イチョウ |
〃:歴史資料 | 巡礼札 |
〃:工芸品 | 太刀銘 家俊、花鳥文刺繍天鵞絨 青磁人物燭台、金剛透釣燈篭 刀(薙刀直し) |
〃:書 物 | 大般若経、紺紙金字法華経 |
〃:彫 刻 | 木造 足利歴代将軍坐像 木造 金剛力士立像 |
〃:絵 画 | 絹本墨画 雲龍図、 絹本著色 釈迦八大菩薩像、 絹本著色 涅槃図、 絹本墨画 淡彩不動明王二童子像 絹本著色 真言八祖像 絹本著色 弘法大師四所明神像 |
数多くの国宝と文化財を所蔵する寺です。
足利市内にある足利氏ゆかりの寺院は、
ここ鑁阿寺が中心となって建立されています。

【⑬ 徳正寺】:足利市本城3丁目


行基山 徳正寺は、天平3年(731)、
奈良時代の高僧行基上人によって開かれました。古くから足利では虚空蔵様と呼ばれて親しまれ、
毎年1月13日には『まゆ玉市』が開かれています。昔は養蚕が盛んなこの地で「蚕や繭が育つように」
という行事でしたが、近年では「織物・家業が
繁盛しますように」と商売繁盛を願い、参道では
「まゆ玉」が売られ、大勢の人で賑わいます。行基山 徳正寺HPより
<徳正寺:基本情報>
名 称 | 行基山 福智院 徳正寺 |
---|---|
宗 派 | 浄土宗 |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
所在地 | 〒326-0808 足利市本城三丁目2090番地 |
電 話 | 0284-21-5797 |
アクセス | JR両毛線足利駅:徒歩約16分 東武伊勢崎足利市駅:徒歩約15分 北関東自動車道足利IC:15分 北関東自動車道佐野藤岡IC:35分 |
駐車場 (無料) |
境内 |
<徳正寺:虚空蔵堂>


1月13日、恒例の「まゆ玉市」が行われます。
例年、徳正寺の境内や参道には、商売繁盛や家内安全を願う
参拝者で賑わいます。
徳正寺には、虚空蔵菩薩像が祭られており、
市は江戸時代中期(1789年)、同像を修復した際に
始まったと伝えられています。
現在に至るまで、280年の歴史的伝統行事となっており、
市が継続的に行われているのは、全国でも珍しいといわれています。
参道や境内では、色とりどりの「まゆ玉飾り」、
「だるま」、「招き猫」などの縁起物や、
一年の無事を祈る「お札」、「お守り」などが勢揃いします。

徳正寺の詳細は、
足利逆さ川沿い散歩コース:法楽寺、樹覚寺など13名所の御案内
11 【足利逆さ川沿い散歩コース:⑨ 徳正寺】
を御覧ください。
【⑭ 法楽寺】:足利市本城3丁目

京都の銀閣寺を模している美しい本堂です。
正義山 法楽寺は、足利義氏によって建長元年(1249)に
草創された。法楽寺の山号と寺号は義氏公の法名「法楽寺殿正義大禅門」
に因る。天文年間(1532-54)の火災後、法楽寺は太岫玄修和尚
によって弘治3年(1557)、曹洞宗として再興される。その後正徳2年(1712)二代足利藩主戸田忠囿は、
法楽寺を戸田家の菩提寺としたが、万延元年(1860)
再度の火災を被ってしまう。足利の伝説「片葉の葦」は、法楽寺山門外にあった
「阿弥陀ヶ池」にまつわるものである。曹洞宗 正義山 法楽寺 由緒
<法楽寺:基本情報>
名 称 | 正義山 法楽寺 |
---|---|
宗 派 | 曹洞宗 |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
所在地 | 〒326-0808 足利市本城三丁目2067番地 |
電 話 | 0284-21-5884 |
アクセス | JR両毛線足利駅:徒歩約25分 東武伊勢崎足利市駅:徒歩約25分 北関東自動車道足利IC:15分 北関東自動車道佐野藤岡IC:35分 |
駐車場 (無料) |
境内 |
特記事項 | ・志納料:お気持ちを納める。 御朱印(書き置き)実施日 ・第1第3水曜日/月 10:00~15:00 ・第2第4日曜日/月 13:00~16:00 ・B6(128×182mm) ・A6(105×148mm) (2種類から選択) ・2~3ヶ月おきに御朱印の 絵を変更予定。 |
<法楽寺:片葉の葦>

法楽寺大門の左手側前に、10㎡ほどの池があって、
弥陀の池(阿弥陀ヶ池)と呼ばれていました。現在では、埋め立てられてしまいました。
いい伝えによると、義氏が引退してここに居を構えて
間もないある夜のこと、夢の中にあらわれた阿弥陀如来から、
「早く池の中から出してくれるように・・・」というお告げをうけました。
さっそく、池をさらったところ、底の方から泥にまみれた
仏像が出てきたので、これを本尊として法楽寺を造営した
ということです。義氏は、この池を弥陀の池と名づけ、
「浮世をば、渡良瀬川に みそぎして
弥陀の池辺に 住むぞうれしき」と詠じています。
ところで、この弥陀の池に生える葦は、
どういう理由かわかりませんが、片方にしか葉がないため
「片葉の葦」と尾ばれて、足利の七不思議にあげられています。台 一雄 (1997).足利の伝説 岩下書店 pp.164-167
<法楽寺:境内>

山から望む法楽寺

法楽寺の詳細は、
足利逆さ川沿い散歩コース:法楽寺、樹覚寺など13名所の御案内
12 【足利逆さ川沿い散歩コース:⑩ 法楽寺】
を御覧ください。
【⑮ 樹覚寺】:足利市本城3丁目

樹覚寺(眞宗)宗覺和尚創建
一位置 本市本城三丁目に在り、明石山樹覺寺といふ。眞宗本願寺派に属す。本尊は阿弥陀如来なり。
二沿革 孝明天皇の嘉永六年(紀元2513年)十月、
越後の僧宗覺和尚の創建なり。近年、檀家田村彦七其の他の寄進喜捨により、
本堂・庫裡を改築し、山門・鐘樓を新築し、
境内及び墓地の整理を行ひ、一山の面目ために更新せり。現在、佐藤宗善、檀家百三十戸あり。
足利市役所(編纂)(1928), 第三篇 第二章 佛寺
足利市役所代表者 大給 新・永倉 牧太 足利市史 上巻の二
永倉活版所 pp.1,223-1,224
現住職:佐藤 純英 和尚
<樹覚寺:基本情報>
名 称 | 明石山 樹覚寺 |
---|---|
宗 派 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺) |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
所在地 | 〒326-0808 足利市本城三丁目2055番地 |
電 話 | 0284-21-4407 |
アクセス | JR両毛線足利駅:徒歩約22分 東武伊勢崎足利市駅:徒歩約22分 東武伊勢崎野州山辺駅:徒歩約27分 北関東自動車道足利IC:14分 北関東自動車道佐野藤岡IC:34分 |
駐車場 (無料) |
境内 |
特記事項 | 足利市で唯一の浄土真宗本願寺派の寺。 |
<樹覚寺:本堂>

本堂の扉に貼られた参拝者への案内を拝見して、
思わず心が温まりました。
「どうぞ、本堂に入ってお参りください」

「どんな話も、聴いてくださる」
そんな優しい本堂の雰囲気に、ただただ感動します。
<樹覚寺:境内>


親鸞聖人が「世の中安穏なれ、仏法広まれ」と
願われた、誰もが心豊かに生きられる社会の実現を
願っています。樹覚寺 HPより


「最後の 一瞬まで 今を 生きる」
樹覚寺の詳細は、
足利逆さ川沿い散歩コース:法楽寺、樹覚寺など13名所の御案内
13 【足利逆さ川沿い散歩コース:⑪樹覚寺】
を御覧ください。
【⑯ 心通院】:足利市本城1丁目

心通院:本堂の須弥壇
当寺は、永禄9年(1566)足利長尾五代目
政長が、両親 憲長夫妻 菩提のため創建されました。昭和38年 鉄筋立て八角形の本堂を再建しました。
釈迦牟尼仏をご本尊とし、
「己を無にして、他のために尽くす」<利他行>に
生きる感謝報恩合掌の生活を教えとしています。ここに、海運、福寿、智恵の寿老人が祀られ、
安産子育延命地蔵菩薩、ぼけ除け観音菩薩とともに、
霊験あらたかなため、延命長寿、海運厄除け、
家内安全等を願い、広く信仰されています。境内 由緒書 より 抜粋
<心通院:基本情報>
正式名称 | 大圓山 心通院 (だいえんざん しんつういん) |
---|---|
宗 派 | 曹洞宗 |
御本尊 | 釈迦如来 |
所在地 | 〒326-0808 足利市本城一丁目1742番地 |
電話 | 0284-41-3202 |
アクセス・その他 | JR足利駅:車8分 徒歩30分 東武足利市駅:車10分 徒歩30分 北関東自動車道 足利IC:車15分 |
(駐車場) | あり(無料) |
特記事項 | 御朱印は発行されていません。 |
<心通院:境内>




心通院の詳細は、
足利七福神めぐり「徒歩最短:3時間」コース
3 足利七福神めぐり:①【心通院】
を御覧ください。
【⑰ 光明寺】:足利市但馬町

光明寺は、仏満禅師大喜法忻大和尚を開山とされるお寺です。
建立の正確な年代は不明ですが、仏満禅師示寂の年が
西暦1368年と伝わることから創建はその後10年を
超えない間では無いかと考えられます。開山である仏満禅師は今川氏の出身であり同時代に
活躍した足利尊氏と祖をひとつとする足利氏一門です。尊氏は足利氏の始祖・足利義兼から数え八代目の
直径子孫にあたり、仏満禅師は鎌倉幕府で活躍し
足利氏繁栄の礎を築いた足利氏三代目・足利義氏公の
長男・長氏から別れた兼康七代目の子孫にあたります。
(後略)萬壽山 光明寺 - ぼたん寺 - 光明寺の開山 より
<光明寺:基本情報>
名 称 | 萬壽山 光明寺 (まんじゅさん こうみょうじ) |
---|---|
宗 派 | 臨済宗 妙心寺派 |
御本尊 | 釈迦如来 |
所在地 | 〒326-0061 足利市田馬町1717番地 |
電 話 | 0284-41-8986 |
アクセス | JR両毛線足利駅:車10分 東武伊勢崎足利市駅:車15分 北関東自動車道足利IC:5分 東北自動車道佐野藤岡IC:50分 |
駐車場 (無料) |
70台:山門前 |
催し物 | ぼたん祭り・精進料理・座禅会・ヨガ * 詳細は、光明寺HP を御覧ください。 |
<光明寺:本堂>





光明寺:須弥壇中央:本尊、釈迦如来像、右:達磨大師像
左:仏満禅師大喜法忻大和尚像
<光明寺:境内>

<光明寺:子育百壽地蔵尊>



<光明寺水琴窟:光明の響>

水琴窟の響きを聴いて、心が安らかになりました。
<光明寺:鐘楼>

この鐘楼は寺の前西側に位置する。板張りの袴腰の
上に吹き放しの鐘楼をのせた形で、袴腰上の床には
高欄をめぐらしている。屋根は入母屋造り、桟瓦葺き 天井を格天井につくる。
床から天井までは約2.8mあり、袴腰内側の天井より
やや高い。(中略)

江戸時代中期、宝暦6年(1756)の建立とされているが、
過去に二度の大改修が施され、屋根瓦、天井板、高欄、
袴腰、階段などは新しい部材になっているものの、柱や
床梁などの構造材は創建時のものである。財団法人 足利市民文化財団 足利市教育委員会
境内由緒書より 抜粋

光明寺の詳細は、
足利氏ゆかりの社寺散歩コース:14名所の御案内
を御覧ください。
【⑱ 浄因寺】:足利市月谷町

栃木県指定 名勝 行道山浄因寺
行道山は今から約1,200年前、和銅年間に
行基上人により開かれたと伝えられる。その後、法徳禅師が禅寺とし、室町時代には、
学問の道場として修行僧が多く集い〝関東の
高野山〟と呼ばれた、元和9年(1,623)には、雷火のため堂塔が
焼失したが、幕府から寺領20石の朱印をうけ、
往時の寺勢をもりかえした。当時のおもかげは、木版刷りの文献などによって、
うかがい知ることができる。山頂に近い「奥の院」には、寝釈迦(石仏)を中心に
多くの石仏(49院)や石塔が周囲をとりまいている。ここは、行基上人が分骨入定された聖地である。
昭和60年9月 (財)足利市民文化財団
足利市教育委員会
<行道山 浄因寺:基本情報>
正式名称 | 行道山 浄因寺 |
---|---|
宗 派 | 臨済宗 妙心寺派 |
御本尊 | 聖観世音菩薩 |
所在地 | 〒326-0068 足利市月谷町1579番地 |
電 話 | 0284-43-3000(足利市観光協会) |
アクセス | 北関東自動車道 足利ICから 約10分 〃 太田桐生ICから 約30分 東北自動車道 佐野藤岡ICから 約40分 JR両毛線足利駅から車で 約20分 東武伊勢崎線足利市駅から車で 約25分 路線バス(行道線)下車 徒歩で 約40分 |
駐車場 | 浄因寺への参道階段下に、普通車 約20台 * 駐車場から浄因寺まで、徒歩 約20分 |
参拝時間 | 自由 |
その他 | 毎年、4月8日直前の日曜日に、「花たつり」 が行われます。「厄除け一杯めし」がふるまわれます。 |
*「厄除け一杯めし」:参拝者にお斎(とき)として
出される筍御飯のことで、誰にでも、どんな理由があっても
一杯と決められています。
一杯めしは、中国の五台山の例にならった行事だそうですが、
その起源は明らかではありません。
この一杯めしを食べると、現世での災難を逃れ、
死後、極楽へ行けると言い伝えられています。
* 斎(とき):寺などでいう食事のこと。
食すべき時の食事の意。
* 五台山:中国山西省五台県の東北にある
五つの峰をもつ山。
最高峰は3,400m。
四川省の峨眉山、浙江省の天台山とともに
中国仏教三霊場の一つ。
<浄因寺:境内>

二つ目の山門を過ぎると、間もなく鐘楼が
見えてきます。
鐘楼を過ぎると、右手側に庫裡(くり)と
本堂があります。
<浄因寺:清心亭>

本堂前の「本堂跡礎石群」の奥に、
葛飾北斎の『足利行道山雲のかけ端』
として描かれた「清心亭」があります。
清心亭は、巨石の上に建てられた茶室で、
古くから文人墨客が多く訪れ有名です。
天高橋
右手側の岩場から、切通しに架かった天高橋
(てんこうきょう)です。
天高橋を渡って、清心亭に入室します。
かつて、葛飾北斎が描いた『足利行道山雲のかけ橋』で
全国に広く紹介されています。
残念ですが、台風による被災のため、
モノレールの運行と清心亭の拝観は、
当面の営業が中止されていました。
<浄因寺:熊野心月堂>

浄因寺本堂の横の階段を進むと、熊野心月堂
(熊野社)があります。
<行道山:浄因寺 奥の院「寝釈迦」へ>

(浄因寺から尾根に向かうと、この道標があります)
寝釈迦に向かう尾根の道です。

途中にあった、展望スポットです。
みなさんは、行道山十勝を御存知でしょうか。
それは、阿吽の滝、母止石、宿竜池、雨請台、
不明堂、涅槃台、地蔵嶽、天高橋、清心亭、
雷電窟をいいます。
寝釈迦は、このうちの涅槃台に安置されています。
<行道山:奥の院「寝釈迦」>
石仏群(奥の院)
行道山(剣が峰)山頂付近には、石仏群があります。
寝釈迦の上をおおうように枝を伸ばした大きな松は、
「天蓋の松」と呼ばれています。
* 天蓋:仏像の頭上にかざす蓋(きぬがさ)のこと。
天空にあって、常に仏の頭上にある。
「奥の院」は、行基上人(後に大菩薩)が分骨入定された聖地です。
岩場
石仏群は、岩場の上に鎮座しています。
あまりにも多い石仏(49院)のため、
初めて来られた方は寝釈迦を探すのに、
戸惑ってしまいそうですね。
しかし、それも一つの楽しみとして、
みんなで探してみましょう。

長さ65cmほどの小さな寝釈迦です。
右手を枕に西向きに寝ています。
「想像より小さかった」と思われるほど、
がっかりする方も多いようです。
しかし、この根釈迦を侮ってはなりません!
私たち地元の言い伝えによると、
昔、寝てばかりいらっしゃるお釈迦様を気遣って、
石仏を立てた人がおりました。
また、ある近所の子どもたちが遊びで、
お釈迦様を立てたこともありました。
その結果は、いずれも悲惨な災いを被って
しまったとのことです。
このように、多くの寝釈迦伝説は、今でも、
現実の話として、伝えられているのです。
でも、見るからに、かわいらしい寝釈迦ですよね。
ある日、突然、連れ去られたこともあったくらいです。

行道山 浄因寺の詳細は、
足利 行道山:浄因寺の清心亭と寝釈迦
を御覧ください。
【⑲ 光得寺】:足利市菅田町


寺伝によれば、開山は、鑁阿上人 勅謚赤御堂八幡大菩薩
(足利義兼公)、開基は、光得寺殿正義大禅定門(足利義氏公)
である。寺内にある厨子入大日如来座像、五輪塔、寺外墓地地蔵堂の
黒衣地蔵は、開山、開基、足利氏、及び樺崎八幡宮、法界寺に
縁のものであるが、明治時代に当寺に移されたと考えられている。
(後略)菅田山 光得寺 境内由緒書より抜粋
<光得寺:基本情報>
正式名称 | 菅田山 光得寺 |
---|---|
宗 派 | 臨済宗妙心寺派 |
本 尊 | 阿弥陀如来 観世音菩薩 勢至菩薩 |
所在地 | 〒326-0007 足利市菅田町892番地 |
電 話 | 0284-41-1978 |
アクセス | JR両毛線足利駅:タクシー15分 東武伊勢崎線足利市駅:タクシー15分 北関東自動車道足利IC:1分 |
駐車場 | あり無料(境内) |
<光得寺:大日如来坐像>
樺崎寺(樺崎八幡宮:西隣)が明治の神仏分離令で廃寺となり、
八幡境内大日堂に安置されていた運慶作とされる大日如来坐像
(國重要文化財)や、五輪塔(19基)が法縁のある当寺に移されました。
現在、大日如来坐像は、東京国立博物館に寄託されています。

2022年7月30日~10月10日、足利市立美術館において、
《あしかがの歴史と文化 再発見!》
- 釜浦殿の義弟 足利義兼の祈り 大日如来坐像 -
と題して、32年ぶりの里帰りとなった大日如来坐像が、
「いちご一会とちぎ国体・とちぎ大会」開催記念で行う
足利市立美術館の企画展で展示されました。
* 本展は国立博物館収蔵品貸与促進事業の特別協力を
受けるとともに、公益財団法人 足利市民文化財団
40周年記念事業の一環として実施されました。
<光得寺:五輪塔>

光得寺の五輪塔群は、その特徴から鎌倉時代後期から
室町時代につくられた足利氏歴代と、重臣の供養塔です。
光得寺:五輪塔
五輪塔は、光得寺境内西側の囲い屋の中に、2列に並んで
安置されています。

五輪塔は、主に供養塔やお墓として使われる塔の一種です。
密教の教理に基づいて作られた形で、上図のように上から
空・風・火・水・地という五大と呼ばれる宇宙を構成する
5つの元素を表現しています。
この五大で形成された五輪塔で供養することによって、
故人は宇宙(五大)に還元され、極楽浄土に往生できると
されています。
<光得寺:境内>

境内に安置されていた仏像のお顔が、あまりにも優しく
思わず引き寄せられてしまいました。

山門の前にある六地蔵尊と地蔵菩薩です。

合掌して感謝すると、心が安まりました。
光得寺の詳細は、
足利氏ゆかりの社寺散歩コース:14名所の御案内
を御覧ください。
【⑳ 善徳寺】:足利市大町


善徳寺(臨済宗)尊氏将軍開基
一位置
本市大町、尋常小学校東校の東に在り。
東光山善徳寺と號す。往古は、鎌倉圓覺寺末、後、行道山浄因寺末たりしが、
明治27年、京都妙心寺派に屬す。現時は、同派別格地一級の寺格たり。
古くは、毛野村岩井にありしが、慶長年中
(紀元2256-74)現在の地に移轉せり。本尊は、薬師如来にして、檀戸五百あり。
尋常小学校東校:現在の史跡足利学校

二沿革
『寺記』によれば、當山の開基は、足利尊氏にして、
開山は佛満禅師といふ。佛満禅師は、鎌倉圓覺寺の開山佛光國師四世の
法孫にして、建長・圓覺・浄智の各山に歴住せしことあり。其の血統は、足利氏の支流なる今川氏にして、今川基氏の子
法圻なり。禅師は鎌倉續燈院の開山にして、當寺の外、
北郷村田島光明寺も、亦創建せり。

當山安置の本尊薬師如来は、今川了俊の父範國(禅師の實弟)の
持念佛にして、恵心僧都の作と傳ふ。範國は、正平20年、(貞治4年・紀元2025)4月毎日卒。
年69。兄佛満禅師の示寂に先立つこと4年なり。正平13年(延文3年・紀元2018)4月、尊氏薨去の後、
其の木坐像及び霊牌を安置すといふ。但し現在の坐像は、後代の作ならむ。霊牌には
「等持院殿贈大相國一品仁山義公大禅定門」とあり。當時、圓覺寺の直末となり、宿坊を續燈院といふ。

尚『寺記』によれば、當寺は、代々頭堂職を賜はり、
正平23年(應安元年・紀元2028)9月14日、
開山示寂の後、二百數十年間、圓覺寺の末寺たりしといふ。後陽成天皇の慶長5年(紀元2260)、
徳川家康関ヶ原合戦の前、結城秀康小山に在りて、
上杉影勝の進出を防止せむとするや、
當山第10世丘甫和尚を陣中に召され、
吉凶勝敗の卜を仰付けられ、吉卦を得しに、
果たして大捷せしかば、秀康是より、和尚を崇敬し、
種々の下賜品ありしといふ。

中興の僧を、圭峯和尚といふ。
妙心寺末、出羽國米澤法泉寺の分法にて、名正天皇の
寛永10年(紀元2293)3月、當寺住職となり、
後光明天皇の正保3年(紀元2306)10月21日、示寂せり。(過去帳)仁孝天皇の天保2年(紀元2491)正月、當寺は、
足利學校と共に、火災に遇ひて、殿堂什寶等の多くの灰燼に附せり。第廿一世紀天和尚之が再建を志し、刻苦悴礪、遂に現在の大伽藍、
其の他を竣工せり。現在柴田慈孝(曹庵)、寺門の繁栄と、法風の興隆とに努力し、
享保19年(紀元2394)、天慧和尚の代に作りし鐘及び諦宗の
代建造せる鐘樓を、焼失せるを嘆きて、再建を志し、
大正13年4月、鐘及び鐘樓の落慶式を挙行せり。

明治維新前には、寺内に常照庵・寶島庵の二寺ありしも、
後、當寺に合併せらる。當寺の定紋を㊁(足利紋)となすは、足利氏関係を示す
爲ならむか。


足利郡毛野村岩井本城の地蔵堂あり。
本尊は地蔵菩薩なり。
明治44年6月、境内佛堂として、その筋の許可あり。
尚地蔵堂には、「乳房地蔵尊」あり。
丈6尺の石造なり。
乳なき者祈願して、効驗著しといふ。
その由緒不明なるも、恐らく千年寺関係のものには
あらざるか。足利市役所(編纂)(1928), 第三篇 第二章 佛寺
足利市役所代表者 大給 新・永倉 牧太 足利市史 上巻の二
永倉活版所 pp.1,193-1,196
乳房地蔵の詳細は、
「渡良瀬橋」と「渡良瀬川」に架かる12の橋
「赤城神社」のお隣「乳房地蔵尊」
を御覧ください。
<善徳寺:基本情報>
正式名称 | 東光山 善徳寺 |
---|---|
宗 派 | 臨済宗 妙心寺派 |
本 尊 | 薬師如来 |
所在地 | 〒326-0056 足利市大町1-2番地 |
電 話 | 0284-41-2890 |
アクセス | JR両毛線足利駅:徒歩6分 東武伊勢崎線足利市駅:徒歩11分 北関東自動車道足利IC:15分 北関東自動車道太田桐生IC:30分 東北自動車道佐野藤岡IC:30分 |
駐車場 | 太平記館観光駐車場(無料) |
<善徳寺:境内>
【㉑ 竜泉寺】:足利市助戸町
竜泉寺 本堂
1月3日は、元三大師の例祭で、名物のダルマ市が開かれます。

当寺は、元久2年(1205)3月の開創であり、
権現堂と称し比叡山の末直寺です。開山は、叡海地蔵上人様であり、
足利厄除大師(あしかがやくよけだいし)として、
近郷近在の多くの人々の信仰をあつめています。叡海地蔵上人は、紀州那智(和歌山県)の人で、
諸国の霊場巡礼を行っていました。巡礼中、此の地(下野国足利郡)に霊感を感得し、
一堂を建立して熊野権現を勧請し安置しました。
これが権現堂の由来となりました。時に上人御年66歳、翌年元久3年、上人は
当地において入寂(にゅうじゃく)しました。室町幕府時代の末までは足利氏の帰依が厚く、
特に第14代将軍足利義栄は当寺に、
福聚(じゅ)山心性教院竜泉寺の号を定め、命により永禄11年、天台座主 ニ品応胤親王
(にほんおういんしんのう)より比叡山戒心谷の
永大末寺に定められ、末寺十八寺を擁(よう)する地方の本寺格となった。
桃山時代に入り、足利城主長尾担馬守顕長は、
当時の霊山を厚く帰依信仰し、館林に楞嚴寺、及び
薬師12神将を寄進しました。しかし、長尾家滅びし後、当山も衰退し、江戸正徳の頃、
当山の元三大師(厄除け大師)を再興し、
厄除けの守護仏として、その名を近郷近在に知られました。元旦より2月3日は、大祭を就行します。
* 擁(よう)する:だきかかえる、いだく、所有する。
* 寺格(じかく):勅願寺・祈願時・門跡(もんぜき)寺院、
また、本山・別院・末寺などの類。
* 仏教寺院の寺格制度:一宗派の中心となって統轄する本寺、
(→本山)と、それに付属する寺院である末寺により構成
される重層的な制度および制度をいう。
<竜泉寺:基本情報>
正式名称 | 福聚山 竜泉寺 (ふくじゅさん りゅうせんじ) |
---|---|
宗 派 | 天台宗 |
御本尊 | 釈迦ぬお来 |
所在地 | 〒326-0044 足利市助戸1丁目652番地 |
電話 | 0284-41-5685 |
アクセス・その他 | JR足利駅:徒歩20分 東武足利市駅:徒歩30分 北関東自動車道 足利IC:10分 北関東自動車道太田桐生IC:25分 東北自動車道 佐野藤岡IC:20分 |
駐車場 | 無料(表門前):100台 |
<竜泉寺:本堂>

不滅の法燈
天台宗を開かれた「伝教大師様」が、
今から1200年の昔、比叡山根本中堂の
薬師如来の御宝前に「明らけく、後の仏の御世までも、
光伝えよ法の灯しび」と、御心を込められて点灯された尊火です。
この灯しびは、私たちに明るい知恵に満ちた
人生と平和を願い転用され、油断のない人生を
送ることの大切さを論された尊火であり、昭和60年3月30日、比叡山延暦寺第253代
天台座主猊(げい)下より、日本で第8番目に竜泉寺に分灯され、
厄除け大師御宝前に御安置され、あかあかと
灯されています。
* 猊(げい):仏のすわる座、高僧の座、狻猊(さんげい)、
獅子のことなどの意味をもつ漢字。

中央に、元三大師坐像、左に大黒天、
右に不動明王が安置されています。
元三大師(912年~985年)は名を良源、
大師号を慈恵大師と言いました。「厄除け」「おみくじ」等は、お大師様が
創始者であり、俗に元三大師と言われるのは、
正月三日に亡くなられたからです。当山に安置されている元三大師様は、
「足利厄除け大師様」として親しまれ、古くから近郷近在の多くの人々の信仰を
集めています。正月一日から七日にかけて大祭が開催され、
「縁起ガラマキ式」「富くじ」「ダルマ市」等で
たいへんにぎわっています。正月以降も随時祈願を受け付けています。

「父に慈恩あり、母に悲御あり」
「人のこの世に生まれるは、父母をえにしとせり、
父あらざれば生まれず、母あらざれば育てられず」と。この世に生命を受けながら、きずなを断った
我が子の供養を致しましょう。
* 慈恩:いつくしみぶかい恩、厚い情け。
* 悲恩:身をもって我が子を抱きしめ守る母性愛。

<竜泉寺:境内>



竜泉寺の表門(山門:仁王門)から境内に入ると、
すぐ左手側に、いぼとり地蔵が鎮座しています。

御神木(楠:くすの木)がある観音堂の前に、
長寿健康観世音菩薩が鎮座しています。
楠の西の広場では、正月に櫓(やぐら)が建ち、
「ガラマキ」が行われます。
竜泉寺は、関東三十三観音霊場:第二十四番札所と
されています。

観音堂と本堂の間に、伝教大師尊像が鎮座しています。
天台宗の開祖、総本山比叡山を開かれた伝教大師は、
最澄上人様(766年~822年)であり、「悪事は己に向かえ、
好事は他に与え、己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり」
「一隅を照らす、是即ち国宝なり」と、人の道をさとられました。
すばらしい御言葉ですね。
仏教の慈悲は、キリスト教のアガペー(Agape)と似ています。

鐘楼の東側に、竜泉寺保育園があります。

樹齢150年の藤棚の下には。十三仏霊場があります。
昔、この霊場ができる前は、針供養塔がありました。
竜泉寺の詳細は、
足利七福神めぐり「足利レンタサイクル・東:4時間」コース
3 足利七福神めぐり:②【竜泉寺】
竜泉寺美術館については、
足利市内の美術館 おすすめ5選【まとめ】刀剣乱舞「山姥切国広」他
を御覧ください。
【㉒ 萬福寺】:足利市大沼田町




時宗大沼田山金蓮院萬福寺は、七百年以上の歴史ある寺院で、
古墳群が散在する大沼田町大坊山麓の地に在ります。昔、大沼山萬福寺と称し、後に大沼田山萬福寺となりました。
かつては、大沼田全域を一箇寺の大きな寺院でしたが。
世代の移り変わりと共に、現在に至ります。
<萬福寺:基本情報>
正式名称 | 時宗大沼田山金蓮院萬福寺 (じしゅう おおぬまたやま きんれんいん まんぷくじ) |
---|---|
宗 派 | 時宗 |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
所在地 | 〒326-0011 足利市大沼田町1436番地 |
電話 FAX |
0284-91-0251 0284-91-0435 |
アクセス・その他 | JR足利駅:車13分 徒歩56分 東武足利市駅:車17分 徒歩70分 北関東自動車道 足利IC:13分 |
駐車場 | 無料 |
料金 | 志納料:300円(1面) |
特記事項 | 御朱印は、1面~6面まで対応可能。 最初の参拝の祭は、阿弥陀如来様の御朱印、2回目胃以降は佛様を選べます。 * 対応日は、SNS(インスタグラム、ツイッター)で予告します。 * 予約は不可です。 |
<萬福寺:境内>

参道入り口の阿弥陀如来立像(右)と、
念仏小僧(左)です。




萬福寺は、本堂に向かう参道の両側に、
諸仏が鎮座しています。
霊験あらたかな、大坊山のふところに抱かれた
自然豊かな寺院です。
萬福寺の詳細は、
足利七福神めぐり「足利レンタサイクル・東:4時間」コース
4 足利七福神めぐり:③【萬福寺】
を御覧ください。
【㉓ 徳蔵寺】:足利市猿田町


徳蔵寺:本堂
当寺は、平安朝末の開創と伝えられています。
境内には、4つの文化財が保有されており、
特に「五百羅漢尊」が有名で、
日本三大五百羅漢尊の1つとなっています。また、「千庚申塔」は県の民族重要文化財、
「かな地蔵尊」は県の有形重要文化財です。そして、「愛染明王像」は平安末期、
慈覚大師円仁の作と伝えられ、市指定の
文化財になっています。
<徳蔵寺:基本情報>
正式名称・通称 | 乾坤山 東燿光院 徳蔵寺 (けんこんざん とうようこういんとくぞうじ) ピンポン寺 |
---|---|
宗 派 | 天台宗 |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
所在地 | 〒326-0023 足利市猿田町9-3番地 |
電話 | 0284-41-8621 |
アクセス・その他 | JR足利駅:車7分 徒歩35分 東武足利市駅:車12分 徒歩40分 東北自動車道 佐野藤岡IC:35分 北関東自動車道 足利IC:15分 北関東自動車道 太田桐生IC:25分 |
駐車場 | あり(無料) |
特記事項 (住職の一言より抜粋) |
ピンポン寺:お互いにピンポン玉のように、心を行ったり来たりさせ、人々が会話をはずませ、楽しめるような開放された皆様の寺として歩んできました。 |
<徳蔵寺:本堂>

御本尊は、阿弥陀如来(中央)、観音勢至菩薩、
不動明王、愛染明王尊、魚籃観音、七福神、
三面大黒天、釈迦涅槃図などが奉安されています。




<徳蔵寺:4つの文化財>
<五百羅漢堂>

<五百羅漢尊>

<かな地蔵尊>


<千庚申堂>

千庚申塔が安置されている庚申堂です。
<千庚申塔>

<愛染堂・愛染明王>


<徳蔵寺:境内>




境内は、ピンポン寺の名にふさわしい、
心の通い合う空間が広がっていました。
<徳蔵寺と茶室「物外軒」>

足利市指定文化財に指定されている
茶室「物外軒」(足利市通6丁目3165)は、
明治初年、現在の足利市猿田町にありました。
茶室「物外軒」は、長四郎三の邸宅にあり、
後に、現在の場所に移設されました。
徳蔵寺には、長四郎三の墓所があります。
住職さんが特別に、墓所まで案内してくださいました。
(公開していないとのことでしたので、
本稿では御案内のみといたします)
茶室「物外軒」については、
足利文化財公開!茶室「物外軒」と庭園に行こう!
徳蔵寺の詳細は、
足利七福神めぐり「足利レンタサイ足利レンタサイクル・東:4時間」コース
7 足利七福神めぐり:⑥【徳蔵寺】
を御覧ください。
【㉔ 正善寺】:足利市常見町
正善寺:山門

本堂は、尊影権大僧都 延亭二年(1745)寂
によって建立。当時のご本尊は、釈迦如来立像。昭和46年、本堂の屋根の葺き替えと庫裡の建立。
昭和51年、日光山輪王寺より定朝(じょうちょう)
様式の「阿弥陀如来坐像」を譲り受け、
新しく当寺のご本尊として安置。昭和53年、鐘楼堂落慶 鋳匠は人間国宝
香取正彦氏の弟子で、足利の鴇田力氏。
(銅は戦艦陸奥に使われていたもの)昭和56年、日光山より「弁財天」を勧請(かんじょう)
正善寺古墳の石室に奉安。平成16年、「常見不動尊」奉安。
お寺が前方後円墳の上に建てられており、
石室から観音像が出土されています。
古墳は6世紀のもので、歴史的価値の高いものです。
僧都(そうず):僧官である僧網の一つ。
僧正に次いで僧侶を統轄するもの。
大僧都、権大僧都、少僧都、権少僧都の
四階級があった。
僧網(そうごう):日本における仏教の
僧尼を管理するためにおかれた僧官の職。
僧正(そうじょう):僧綱の最上位。
<正善寺 基本情報>
正式名称 | 明星山 神楽院 正善寺 (みょうじょうざん かぐらいん しょうぜんじ) |
---|---|
宗 派 | 天台宗 |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
所在地 | 〒326-0022 足利市常見町1-12-15番地 |
電 話 FAX |
0284-41-4555 |
アクセス・その他 | JR足利駅:車8分 徒歩40分 東武足利市駅:車10分 徒歩50分 東武和泉駅:徒歩42分 東武福居駅:徒歩44分 北関東自動車道 足利IC:15分 |
駐車場 | あり(無料) |
料金 | 志納料:お気持ちをお納めください。 |
特記事項 | 直書きのみお渡し可。 ご住職不在の場合は対応できないため、事前確認がおすすめ。 |
本堂:須弥壇
正善寺の御本尊様(中央)阿弥陀如来坐像
馬頭観世音菩薩(左)、千手観世音菩薩(右)

正善寺の阿弥陀如来は、昭和51年に日光山輪王寺より
勘請(かんじょう)された仏像です。身の丈約1メートル、当時、奈良博物館の館長、
石田茂作氏の鑑定による書簡では、鎌倉中期の制作とされ、日本で最初の仏師とされる
定朝様式(じょうちょうようしき)の阿弥陀如来と
されています。一番の特徴はその「肉髻(にくけい)」で、
通常は頭上のやや前にみえるかたちであるのが
ほとんどです。正善寺の御本尊の肉髻は、頭頂におかれていて、
その相は国内でも珍しいとされています。また、光背も放射状に描かれており、阿弥陀来迎図
にあるそのままの姿を表しています。
* 勧請(かんじょう):神仏の分身・分霊を他の地に
移して祭ること。
* 肉髻(にくけい):髪を中央から左右に分けて、
両耳のあたりで輪に束ねた上代の成人男子の
髪の結い方。
* 髻(もとどり):髪を頭の上で束ねたものあどの
意味をもつ漢字。
* 定朝(じょうちょう)様式:平安時代の仏師「定朝」
にはじまる和様の仏像彫刻様式。
作風は、平明で静的・絵画的な様式。
* 阿弥陀来迎図(らいごうず):阿弥陀仏が、極楽への
往生を願う人の臨終に際して、
その人のもとへ来迎するさまを描いた図。
正善寺:古墳

正善寺は、前方後円墳のくびれ部に本堂が建ち、
墳丘は墓地になっています。
後円部に南向きの横穴式石室があり、弁財天が
祀られています。



昔、正善寺のある足利市常見町のあき地で、
土器のかけら拾いをして遊びました。
当時、縄目のついた土器のかけらや、
黒曜石で作られた矢尻などを見つけては、
友達と歓声を上げて喜んだことを覚えています。
正善寺の詳細は、
足利七福神めぐり「足利レンタサイクル・東:4時間」コース
6 足利七福神めぐり:⑤【正善寺】
を御覧ください。
【㉕ 寺岡山元三大師】:足利市寺岡町


当山の正式名称は、寺岡山施藥院(せやくいん)
薬師寺です。寺伝によると、聖徳太子の命によって建立され、
「下野八薬師」と称されていたと伝えられています。江戸時代、崇保院宮前天台座主(ざす)
准三后一品公寛法親王が上野東叡山寛永寺
(輪王寺門跡第六世門主)をされていた時、足利市寺岡町出生の亀田庄左衛門則重公が、
永年身命を賭(と)しての忠節を認められ【日本に三幅しか現存しない】元三慈恵大師尊影御真筆を
拝領しました。その後、尊影御真筆を寺岡山施藥院薬師寺に
奉納するに至り、以来、寺岡山薬師寺は
寺岡山元三大師として厄除け・商売繁盛の
祈願寺として、江戸の人々の信仰を受けました。檀家をとらず、祈願寺のみの寺院として歩んできた
経緯には、当時の栄華と信仰の顕れが伺えます。
<寺岡山元三大師:基本情報>
正式名称 | 施藥院薬師寺 (せやくいん やくしじ) 寺岡山元三大師 (てらおかさん がんざんだいし) |
---|---|
宗 派 | 天台宗 |
御本尊 | 薬師如来 |
所在地 | 〒329-4213 足利市寺岡町871番地 |
電話 FAX |
0284-91-3236 0284-91-3441 |
アクセス・その他 | JR富田駅:徒歩19分 東武足利市駅:車25分 徒歩120分 北関東自動車道 足利IC:20分 |
駐車場 | 500台 (無料) |
拝観・開館時間 | 御朱印授与 9:00~16:00(1月のみ~17:00) |
料金 | 志納料:反面300円 見開き:500円 |
特記事項 | 土日も含め御朱印対応可能。(平日仏滅はお休みとなります) 基本的に書置きをお渡ししています。 元三大師の御朱印のほか、七福神毘沙門天や不動明王・如意輪観音・文殊菩薩ばどの御朱印もあります。 |
施薬院:貧しい病人に薬を与え療養させる施設。
聖徳太子が仏教の慈悲の思想に基づき、その地に
薬草を栽培し、けがや病気で苦しむ人を救うために
四天王寺内に作ったと言われる施設。
如意輪観音:「如意」とは、意のままに智慧や財宝、
福徳をもたらす如意宝珠という宝の珠。
「輪」は、煩悩を打ち砕く法輪。
本堂の須弥壇
本堂の須弥壇には、如意輪観世音菩薩、不動明王、
出世三面大黒天などが安置されています。


出世三面大黒天:大黒天・毘沙門天(左)・弁財天(右)
出世三面大黒天は、豊臣秀吉公が三面大黒天に誓い、
出世し天下人となったことから、出生三面大黒天と
呼ばれるようになりました。
<寺岡山元三大師:境内>
<十二支八体仏>

金文字で書かれたこの御朱印は、
十二支八体仏のものです。
(有名なライターによるものだそうです)
四天王の一仏で、別名「多聞天」とも呼ばれ、
甲胃を身に着け、武将の姿で勇ましい顔を
しています。
除災招福・心願成就の神とされ、江戸時代以降は、
勝負事にも、ご利益ありと崇められています。
<手水舎>

参道の石段を上ると、手水舎があります。
龍の口から、水が出ています。

<夢観音>

本堂の相向かいに鎮座する夢観音です。
夢観音に、夢を切願すると叶えてくださると
伝えられています。
<薬師堂>

本堂の左隣にある薬師堂です。

薬師堂には、御本尊の薬師如来像が安置されています。
寺岡山元三大師は、寺の通称で、祈願の祭の御本尊で、
薬師如来とは別の存在になっています。
<如意輪観世音菩薩>

如意輪観世音菩薩は、薬師堂の左隣に鎮座しています。
<結縁石(けちえんいし)>

昔から縁ある人とは、赤い糸で結ばれている
といわれます。
また、雛(ひな)はたまごからかえるのです。この結縁石は、それを表しております。
どうぞ元三大師さまとのご縁により、
すべての良い縁が成就いたしますように
ご祈願しております。
結縁石の色 | 結べる縁 |
---|---|
金色 | 金財運 |
白色 | 仕事運 |
桃色 | 恋愛運 |
緑色 | 健康運 |
黄色 | 家庭運」 |
赤い卵形の御神体にある「五縁」の中で、
お願いしたい色の縁をなでながら、
ゆっくりと心の中でお願いしてください。なでている画像などは、お守りの代わりと
なりますので、大切に保存してください。
<三十三身豆大師>

如意輪観世音菩薩の右隣には、豆大師が、
整然と鎮座しています。
元三大師の御朱印にも記されている角大師とともに、
豆大師の護符はたいへん有名です。
寺岡山元三大師の詳細は、
足利七福神めぐり「足利レンタサイクル・東:4時間」コース
5 足利七福神めぐり:④【寺岡山元三大師】
を御覧ください。
足利市の神社については、
八雲神社と足利23の神社めぐり【まとめ】
を御覧ください。
最後まで御覧いただき、ありがとうございました。
Y/Kさん、コメントありがとうございます。 足利市内の八雲神社は、松田町と小俣町…
八雲神社は、松田町のものを除き、すべてお参りさせていただきました。小俣町や五十部…
S-様、ご質問ありがとうございます。 「かき菜の中心の茎を摘心・・その後、かき菜…
大変参考になりました。 質問です 中心の茎を摘芯しました。 そうしましたら、かき…
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m-tさん、コメントありがとうございます。 私もアンタレスの会員ですが、 ジムに…
渡良瀬橋ブログ「プロフィール」、拝見しました。孫のスイミングで、危ないので声はか…
いせやともかさんを想うあまり、 僭越な記事になってしまいました。 どうぞ、お許し…
[…] ほんとうのライブレポートは「渡瀬瀬橋ブログ」さんにお任せして…