栃木県足利市にある鑁阿寺(ばんなじ)は、
「大日様」(だいにちさま)と呼ばれ、
地元住民にとって、たいへん親しみの深い史跡です。
でも、初めてお越しになる方にとっては、
「車はどこに置けばいいの?」
「電車で行きたいんだけど、道順はどんな感じ?」
など、いろいろ心配なこともあるでしょう。
つい先日も、鑁阿寺の「大門通り」で、
駐車場を探していらっしゃった方を
「たかうじ君広場駐車場」まで、御案内しました。
そこで、鑁阿寺に関する御紹介をすることで、
みなさんがお越しになる際の参考となることを目指します。
どうか、小京都と呼ばれる足利市で、大切な想い出を
つくっていただけたら幸いです。
この記事の目次
- 1 【鑁阿寺:基本情報】
- 2 【鑁阿寺:駐車場】
- 3 【最寄り駅から鑁阿寺までのルート】
- 4 【国宝:鑁阿寺】
- 4.1 <鑁阿寺:足利の大日様>
- 4.2 <鑁阿寺:桜門(山門):県指定文化財>
- 4.3 <鑁阿寺:大御堂(本堂)>
- 4.4 <鑁阿寺:多宝塔(塔婆)>
- 4.5 <鑁阿寺:大いちょう>
- 4.6 <鑁阿寺:白梅と紅梅>
- 4.7 <鑁阿寺:中御堂(不動堂)>
- 4.8 <鑁阿寺:経堂(一切経堂)>
- 4.9 <鑁阿寺:鐘楼>
- 4.10 <鑁阿寺:東門及び西門:県指定文化財>
- 4.11 <鑁阿寺:北門>
- 4.12 <鑁阿寺:宝庫(校倉)>
- 4.13 <鑁阿寺:庚申塔と観世音菩薩像>
- 4.14 <鑁阿寺:おひるこさま>
- 4.15 <鑁阿寺:大酉堂(おおとりどう)おとり様>
- 4.16 <鑁阿寺:御霊屋>
- 4.17 <鑁阿寺:児童公園>
- 4.18 <鑁阿寺:本坊>
- 4.19 <鑁阿寺:境内の売店>
- 4.20 <鑁阿寺:土塁と堀>
- 4.21 <鑁阿寺:行列のできるクレープ屋さん>
【鑁阿寺:基本情報】

所在地 | 〒326-0803 足利市家富町2220 |
---|---|
電 話 FAX |
0284-41-2627 0284-41-1136 |
アクセス | 北関東自動車道 足利ICから10分 JR両毛線足利駅から徒歩10分 東武足利市駅から15分 |
公式URL | http://www.ashikaga-bannaji-org/ |
営業時間 | 午前9:00~午後4:00 |
収容台数 | 乗用車50台 |
駐車料金 | 無料 |
【鑁阿寺:駐車場】
<鑁阿寺:境内駐車場>
鑁阿寺境内の駐車場は、乗用車50台(無料)です。
境内駐車場は、東門と北門から入れます。
(南門と西門からは、入れません)



北門から入ると、鑁阿寺大御堂、中御堂、一切経堂の
北側に駐車スペースがあります。
<たかうじ君広場駐車場>

<たかうじ君広場駐車場:基本情報>
所在地 | 〒326-0814 足利市通二丁目2645 |
---|---|
アクセス | 北関東自動車道 足利ICから10分 |
営業時間 | 終日開放 定休日なし |
収容台数 | 乗用車36台 (うち軽自動車11台) |
駐車料金 | 無料 |
<太平記館:観光駐車場>

<太平記館:基本情報>
所在地 | 〒326-0053 足利市伊勢町三丁目6-4 |
---|---|
電 話 | 0284-43-3000 0284-40-1570(売店直通) |
アクセス | 北関東自動車道 足利ICから約15分 北関東自動車道 太田栗生ICかた約30分 東北自動車道 佐野藤岡ICから約30分 JR両毛線足利駅から 徒歩5分 東武足利市駅から 徒歩10分 |
営業時間 | 9:00~17:00 |
収容台数 | 乗用車40台 大型バス10台 身障者専用1台 |
料金 | 無料 |
【最寄り駅から鑁阿寺までのルート】
<JR両毛線足利駅から鑁阿寺へ>

JR両毛線足利駅からは、
北口より、県道67号線(中央通り)を左折(西方向)に進み、
通1丁目交差点(地下道あり)を通過、間もなく右手側に
観光情報等を提供する「足利まちなか遊学館」が見えてきます。
足利まちなか遊学館の入口を右折(北方向)すると、「足利学校」へ、
足利まちなか遊学館を過ぎ、中央通りをさらに西へ進むと、
一つ目の信号機(手押し式)を右折(北方向(すると、「鑁阿寺」へ。
晩何時への詳細ルートについては、
「渡良瀬橋」車椅子や徒歩で安全に楽しむルートを画像で解説
4 【JR足利駅】
を御覧ください。
<東武伊勢崎線足利市駅から鑁阿寺へ>

東武伊勢崎線足利市駅からは、
北口を出て左折(西方向)し、歩道を進むと
中橋(3連アーチ)のたもとにある「足利市駅北交差点」にで出ます。
中橋を渡り、そのまま直進するとJR両毛線の踏切を過ぎ、
通2丁目の交差点に着きます。
通2丁目の交差点の県道67号線(中央通り)を左折(東方向)に進むと、
一つ目の信号機(手押し式)を左折(北方向)し直進すると鑁阿寺に到着します。
鑁阿寺への詳細ルートについては、
「渡良瀬橋」車椅子や徒歩で安全に楽しむルートを画像で解説
3 【東武足利市駅】
を御覧ください。
【国宝:鑁阿寺】
国指定史跡「足利氏宅跡」
真言宗 金剛山 鑁阿寺

お堀に架かる「太鼓橋」(反り橋)は、
安政2年(1855)11月に再建されました。
屋根付の橋には、彫刻が施されています。
(桁行約7.8m 梁間約3.4m)
<鑁阿寺:足利の大日様>

平安時代末期、八幡太郎(はちまんたろう)源義家の子
源義国及び、義国の第2子義康(初めて足利氏を称す)
の2代にわたって、造営された足利氏の居跡跡です。
大正11年、国より史跡の指定を受けました。
<鑁阿寺:桜門(山門):県指定文化財>

室町時代、建久7年、開基 足利義兼公の
創建といわれていますが、兵火にあい、
現在の建物は、永禄7年(1564年)
足利幕府13代将軍足利義輝の再建によるものです。
開基:仏寺または、一宗派を創立すること。
建久7年:(1196)

屋根の菊の御紋章は、勅願所(花園天皇より、
足利貞氏が受ける)とし、足利氏紋章である
「丸に二つ引(足利二つ引)」も示されています。
勅願書:(ちょくがんしょ)時の天皇・上皇の勅命
により、鎮護国家・玉体安穏などを祈願する寺社。
桜門は、俗に仁王門ともいい。両側の仁王尊
(金剛力士立像)は、寺伝では鎌倉時代の名匠
運慶の作といわれていました。先年実施された「文化庁美術学芸課」の総合調査では、
桃山時代の作といわれています。出典:金剛山 鑁阿寺(足利の大日様)
<鑁阿寺:大御堂(本堂)>




鑁阿寺の御本尊は、大日如来です。


●本尊:大日如来
建久七年、(1,196年)足利義兼公が建立しました。
本尊は、大日如来、脇本尊として護摩壇に、訳詞入来、
左檀に聖観世音菩薩と聖天様が祀られています。後方壇に、弘法、興教の二大師、開基鑁阿上人像を始めとして、
明治維新まで、堀の外に存した塔中十二支院の御本尊が
安置されています。出典:金剛山 鑁阿寺(足利の大日様)
11月3日は大祭日にあたり、
七五三を祝う人々が、多く参拝に訪れます。

本堂の鬼瓦は、間近で見ると迫力満点です。
屋根の上で良かったです。
もし、下に置いてあったら、七五三も泣いちゃいますよね。
現在の大御堂(本堂)は、貞氏の改修によるもので、
鎌倉時代の代表的建造物として、平成25年(2013)
国宝に指定されました。
七五三は、お堀の鯉のエサやりに夢中でした。
そして、鳩もたくさん集まってきました。
七五三の健やかな成長を、みんなで願いました。
<鑁阿寺:多宝塔(塔婆)>

塔婆(とうば):先祖の供養のために立てられました。
屋根の上の九輪(くりん)は、極楽浄土の方向を示しています。
卒塔婆(そとうば=サンスクリット語のストゥーバ)とも
呼ばれています。
「卒塔婆ってなあに?」と言う七五三のために・・・。
「ほら、お墓にお供えする木の板があるでしょう」
「木の板の先の方に、いくつかのギザギザがあるよね」
「あのギザギザが、九輪を表してるんだよ」
「ふぅーん!?」

おじさんの話は、興味なかったようです。

九輪がよく見える位置から、もう一度。
多宝塔は、足利義兼の創建と伝えられていますが、
現在の建物は、江戸時代の元禄5年(1692年)
徳川5大将軍綱吉の生母、桂昌院尼公の再建によるものです。塔は、重層、銅板葺、頂上に九輪が立ち水煙がのっています。
出典:金剛山 鑁阿寺(足利の大日様)
水煙:九輪の上にある火炎状の装飾金具で、
火事の連想を避け、併せて水難をおさえる意味をもちます。
本尊は、金剛界大日如来と勢至菩薩で、
両側に十六羅漢が安置されています。
<鑁阿寺:大いちょう>
大いちょう
栃木県指定 天然記念物
鑁阿寺のイチョウ
平成10年1月16日指定鑁阿寺のイチョウは、樹高31.8メートル
目通り周囲8.3メートルの大木で、
地上3メートルのところから2本に分かれており、どちらも数本に分岐し、地上12メートル付近で
枝が伸び、壮大な樹形をなしています。広い境内には、多くの樹木が植えられていますが、
この樹は最大のもので幹の太さ、全体の大きさから、
樹齢は550年前後と推定されます。栃木県教育委員会・足利市教育委員会
栃木県天然記念物 イチョウ(指定:3本)
所在地 | 樹高・周囲 |
---|---|
壬生寺(みぶじ) | 樹高19m 目通り周囲5.1m |
大野室 大田原市 三嶋神社 |
樹高30m 目通り周囲6.45m |
鑁阿寺 | 樹高31.8m 目通り周囲8.3m |
<鑁阿寺:おおいちょうの七不思議>

鑁阿寺の七不思議として、「蛭子さま」「あかずの井戸」
「あかざの柱」などとともに、「大いちょう」もその一つに
あげられています。
大いちょうは、寺の言い伝えによると、
開基足利義兼が手植えしたものとされています。
(最近の専門家の鑑定によると、推定500年とも)
「この大いちょうの根本を、息をつかづに三回まわると、
樹上から白蛇が落ちてくる」という、言い伝えがあります。
筆者は、蛇が怖いので試したことはありません。
それよりも、この大木のまわりを無呼吸で3回まわれることの方が
不思議です。
なお、江戸時代の頃には、「縁結びの神木」とされ、
木の下で、「お見合い」が盛んに行われたとも言われています。

<鑁阿寺:白梅と紅梅>

毎年、1月中旬になると手水舎の手前、参道右手側の
白梅と紅梅が開花します。



<鑁阿寺:中御堂(不動堂)>

寺伝では、開基足利義兼公の創建とありますが、
文禄元年(1992)生実御所国朝の再修によります。
生実御所国朝(足利国朝):初代小弓公方であった
足利義明の孫。
小弓公方(おゆみくぼう):足利義明の敬称。
鑁阿寺:中御堂
御本尊「不動明王」は、往古千葉県成田山より勧請され、
興教大師の作といわれ、霊験あらたかな不動明王です。本堂が、明治41年国宝に指定されるまでは、不動堂と
廊下でつながっていて、四度加行(しどかぎょう)の
護摩法の道場として使用した堂字です。
勧請(かんじょう):神仏の分身、分霊を他の地に移して
祀ること。

昭和44年、信徒の浮財により半解体修理が実施されました。
商売繁盛を祈念する堂であると同時に、酉年守本尊です。

<鑁阿寺:あかずの井戸の七不思議>

中御堂の右側に、古井戸の跡があり、800年前、足利氏が
居住した時に使用したといわれています。真言宗大本山 鑁阿寺 由緒書 より
古井戸にまつわる地元の伝説をお話しします。
古井戸は、足利七不思議の一つで、
鑁阿寺七不思議にも数えられており、
別名を「あかずの井戸」「あけずの井戸」と言われています。
本稿の「おひるこさま」で詳細をお話しますが、
侍女の藤野がお花見の際に、時子に飲ませた水は、
この井戸から汲んだとされています。
義兼の留守中を機会とするエピソード、
侍女、藤野によって企てられた虚偽の密偵ばなしによって、
時子は自害してしまいました。
後に、出家した義兼は、
「この水は、絶対、使わぬように」という厳命により、
フタがつけられたままになっているとの由来があります。
* 鑁阿寺七不思議:「あかずの井戸」「鬼の義兼」
「あかざの柱」「蛭子さま」「逆さ藤天神」
「牛裂地蔵」「大いちょうの蛇」の七つ。
<鑁阿寺:経堂(一切経堂)>

秋の大祭日は、経堂が一般公開されています。
経堂内には、足利幕府初代将軍足利尊氏公を始め、
15代将軍足利義昭公に至る坐像や、
八角の輪蔵などが安置されています。
残念ですが、密教のため一切の写真撮影は
禁止されています。

経堂(一切経堂)室町時代
●本尊 釈迦如来寺伝では開基、足利義兼公の創建となっていますが、
現在の経堂は、応永14年(1407)関東管領足利満兼により
再建されました。内部に八角輪蔵、(経棚)があり、一切経二千余巻(黄檗版)
が収蔵されています。出典:金剛山 鑁阿寺(足利の大日様)より抜粋
一切経堂:一切経を安置するための堂。
八角輪蔵:一切経堂の内部に、一切経を収める
回転式の巨大な八角輪蔵。
黄檗版(おうばくばん):江戸時代につくられた
木版大蔵経(だいぞうこう)の一つ。

八角輪蔵は、経堂の中心にあり、中心軸に沿って、
回転させることができます。
回し始めは、けっこう重く感じられましたが、
動き出すと、円滑に一回りすることができます。
一般には、この経蔵を回転させると、それだけで
経典全巻を読誦(どくじゅ)したのと同等の御利益が
得られると信じられています。
<鑁阿寺:鐘楼>

建久7年(1196)開基、足利義兼公が
本堂に次いで創建しました。本瓦葺(ほんかわらぶき)、入母屋造りで
袴腰(はかまごし)附、鎌倉時代の飾りけのない
禅宗様式の代表的なものといわれています。出典:金剛山 鑁阿寺(足利の大日様)より抜粋

<鑁阿寺:東門及び西門:県指定文化財>


間口二間三尺(4m55cm)、奥行一間三尺
(2m73cm)、本瓦葺です。創建は、足利義兼公ですが、永享4年(1432)
公文所奉行の再修によります。鎌倉期の武家造りの簡古、稚朴な四脚門です。
公文所:鎌倉幕府の置いた三機構、侍所・公文所
(のち、政所)・問注所の三つ。
簡古(かんこ):簡素でふるめかしいこと。
稚朴(ちぼく):あどけなく純朴であること。
<鑁阿寺:北門>

当山開基、足利義兼の子、足利義氏は
父の立てた鑁阿寺維持の為、堀の外に
12の支院(塔中十二坊)を鎌倉時代に建て、
その筆頭(塔頭)を千手院としました。
上記のとおり、もともとは千手院
(せんじゅいん:現在の足利幼稚園の場所にあった)
の山門でしたが、大正4年(1918)に、
鑁阿寺北門として、今の地に移設されたものです。
参考文献:[展覧会図録]『鑁阿寺の宝物』
一山十二坊図(いちざんじゅうにぼうず)
今まで御紹介してきたものは、
鑁阿寺において、有名な建物や天然記念物です。
「でも、北側の駐車場のところにも、いくつか
建物があるけれど、いったいなあに?」
そうなんです、鑁阿寺の中央から南は、
みなさんよく御存じですが、北側の建物となると
よく御覧にならない方も多いようです。
そこで、ここからは、みなさんの御要望に
お応えして、鑁阿寺の北側にある貴重な文化財を
御紹介します。
<鑁阿寺:宝庫(校倉)>
鑁阿寺:宝庫 (校倉:あぜくら)
大黒堂ともいわれています。
永享4年(1432)公文所奉行の創建とありますが、
現存の建物は、宝暦2年(1752)の再建です。様式は、校倉風で北関東に珍しく優美です。
元来、当山の宝物を収容した収蔵庫ですが、
42世忍空上人は、此れを他に移して大黒天を
祀りました。足利七福神の元祖です。
鎌倉期の武家造りの簡古、稚朴な四脚門です。
簡古:簡素で古めかしいこと。
稚朴:純朴であること。

足利七福神めぐりについては、
足利七福神めぐり「徒歩最短:3時間コース」
を御覧ください。
<鑁阿寺:庚申塔と観世音菩薩像>

三界万霊(さんがいばんれい)ではなく、
庚申塔を集めた塚で、観世音菩薩像が鎮座しています。
三界万霊:三界におけるすべての霊あるものの意。
三界:欲界(よっかい)・色界(しきかい)・無色界
(むしきかい)
<鑁阿寺:おひるこさま>

地元の伝説によると、
鑁阿寺の開基、足利義兼が源頼朝に従い、
半年ほど足利を留守にしたときのお話です。
留守の間、時子夫人の慰めとして藤野という侍女が
お花見を勧めました。
花見の途中、のどが乾いたので、藤野がくんだ生水を
飲んだことから悲劇が始まります。
時子は、なんと、生水を飲んでから、
お腹がふくれてしまったのでした。
その後、藤野の企てによって、留守を預かっていた
足利又太郎忠綱と時子が密通したという虚偽を
義兼に密告します。
虚偽を信じてしまった義兼、忠綱は逃亡し、
時子は身の潔白を信じてもらえず自害してしまいました。
遺言どおり、時子のお腹を開くと、
中から蛭がたくさん出てきました。
花見のときに飲んだ生水に、蛭がいたのでしょう。
藤野は相当の刑罰をうけ、
(ショッキングな刑なので詳細は控えます)
後に、義兼は剃髪し、居館の中心に鑁阿寺を建立し、
夫人の菩提を弔うため、この蛭子女尊堂を建てました。
鑁阿寺:蛭子尊の扁額

なんとも切なくて、悲しいお話ですが、
現在では、安産守護神 蛭児女尊「おひるこさま」として、
敬われています。
* 時子:北条時政の娘、北条政子の妹、北条時子。
* 政子:源頼朝の夫人、北条政子。
* 剃髪:仏門に入る者が髪や髭を剃ること。
<鑁阿寺:大酉堂(おおとりどう)おとり様>


大酉堂は、足利尊氏の御霊屋として、室町時代に
建立されました。当山に残る寛政2年、及び明治5年の伽藍(からん)
配置図には、足利尊氏公霊屋と現在地に記載されています。
<鑁阿寺:御霊屋>

足利大権現と称し、俗に赤御堂ともいいます。
正和年間、(1312~)の当山伽藍(からん)
配置図にも、境内西北に描かれています。創建は、鎌倉時代とありますが、現在の建物は、
徳川11代将軍家斉の寄進によって再建されました。本殿に、源氏の祖を祀り、拝殿に県指定文化財
足利15代将軍像が祀られています。本殿の裏に当山開基、足利義兼の父、義康、
祖父の義お墓があります。真言宗大本山 鑁阿寺由緒書きより 抜粋
<鑁阿寺:児童公園>

足利市民にとって親しみ深く、安心して利用できる
児童公園です。
どことなく落ち着いた雰囲気の中に、
元気な子どもたちの声が響きます。
<鑁阿寺:本坊>



唐破風:日本の城郭建築などにみられる
頭部に丸みをつけて造形した破風の一種。
唐とありますが、日本特有の建築技法です。
破風(はふ):屋根の先端部分で、家へ雨の吹き込みを
防ぐために破風板が付けられています。



築地塀:泥土を突き固めて作った塀で、
単に築地(ついじ)ともいいます。
本坊の西隣には、出世稲荷神社があります。
また、鑁阿寺北門の近くに、逆さ藤神社もあります。
詳細については、
足利「長尾弁財天」「出世稲荷神社」「逆藤天満宮」の御案内
を御覧ください。
<鑁阿寺:境内の売店>

鑁阿寺西門の近くにある「ひこまや」です。
売店には、「いもフライ」や「はとまめ」などがあり、
子どもたちにも人気の「お休み処」になっています。
御主人は、西門を出た斜め向かい、和食「飛駒屋」の
経営者で、すご腕の板前さんです。
(筆者が釣ってきたヒラメを、さばいてもらったことも)

鑁阿寺山門(桜門)の近くにある「大日茶屋」です。
茶屋では、足利の二代B級グルメ「足利シューマイ」と
「ポテト焼きそば」が味わえます。
<鑁阿寺:土塁と堀>

鑁阿寺の周囲は、土塁と堀が廻らされており、
土塁の上を歩くことができます。

歩道を人が通り過ぎても、飛び立とうとしないカモです。
来訪する人々に、おいしいエサをいただいているためか、
堀で泳ぐ鯉や亀と同じく、人間が大好きです。
みなさんんも、ぜひ可愛がってくださいね。
<鑁阿寺:庚様塔>

方形をした境内南西部の土塁には、
庚申塔が鎮座しています。
庚申塔は、土塁を歩く人は少ないため、
あまり知られていないかも知れません。
しかし、土塁の上から見る景色も、
新鮮で、いい感じがしますよ。


<鑁阿寺:太鼓橋>

やはり、一つの寺でも、見方を変えれば
いろいろな世界が広がって見えてきますね。
また、四季折々の景色は、人それぞれに
無限の世界を見せてくれるのでしょう。
「三界に家なし」・・・、解脱できない私でした。
<鑁阿寺:行列のできるクレープ屋さん>
「行列のできる、クレープ屋さん」
たかうじ君広場駐車場の近くに、
大人気のクレープ屋さんがあります。
「行列のできるクレープ屋さん」として大人気。
(以前は、近くの中央通り交差点にあったお店です)

《季節限定メニューもご用意してます ♪》
みなさんも、絵はがき集や観光パンフレットを片手に、
足利の街を散策してみてはいかがでしょうか。
きっと、新しい出逢いと発見が、
あなたを待っていることでしょう。
最後まで御覧いただき、ありがとうございました。
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