野外活動

国宝「鑁阿寺」:地元足利から御紹介「歴史と伝説の散歩道」

七五三の写真です。

栃木県足利市にある鑁阿寺(ばんなじ)は、
「大日様」(だいにちさま)と呼ばれ、
地元住民にとって、たいへん親しみの深い史跡です。

でも、初めてお越しになる方にとっては、

「車はどこに置けばいいの?」
「電車で行きたいんだけど、道順はどんな感じ?」
など、いろいろ心配なこともあるでしょう。

つい先日も、鑁阿寺の「大門通り」で、
駐車場を探していらっしゃった方を
「たかうじ君広場駐車場」まで、御案内しました。

そこで、鑁阿寺に関する御紹介をすることで、
みなさんがお越しになる際の参考となることを目指します。

どうか、小京都と呼ばれる足利市で、大切な想い出を
つくっていただけたら幸いです。

この記事の目次

【鑁阿寺基本情報】

所在地 〒326-0803
足利市家富町2220
電 話
FAX
0284-41-2627
0284-41-1136
アクセス 北関東自動車道 足利ICから10分
JR両毛線足利駅から徒歩10分
東武足利市駅から15分
公式URL http://www.ashikaga-bannaji-org/
営業時間 午前9:00~午後4:00
収容台数 乗用車50台
駐車料金 無料

【鑁阿寺の駐車場】

<鑁阿寺境内駐車場>

鑁阿寺境内の駐車場は、乗用車50台(無料)です。

境内駐車場は、東門と北門から入れます。
(南門と西門からは、入れません)

鑁阿寺東門の写真です。鑁阿寺東門

 

鑁阿寺北門の写真です。鑁阿寺北門

<たかうじ君駐車場:観光駐車場>

「たかうじ君広場」駐車場の看板の写真です。「たかうじ君広場」駐車場

<たかうじ君広場駐車場 基本情報>

所在地 〒326-0814
足利市通二丁目2645
アクセス 北関東自動車道
足利ICから10分
営業時間 終日開放
定休日なし
収容台数 乗用車36台
(うち軽自動車11台)
駐車料金 無料

<太平記館 観光駐車場>

太平記館の写真です。太平記館

<太平記館 基本情報>

所在地 〒326-0053
足利市伊勢町三丁目6-4
電 話 0284-43-3000
0284-40-1570(売店直通)
アクセス 北関東自動車道 足利ICから約15分
北関東自動車道 太田栗生ICかた約30分
東北自動車道 佐野藤岡ICから約30分
JR両毛線足利駅から 徒歩5分
東武足利市駅から 徒歩10分
営業時間 9:00~17:00
収容台数 乗用車40台
大型バス10台
身障者専用1台
料金 無料

【最寄り駅から鑁阿寺までのルート】

<JR両毛線足利駅から鑁阿寺へ>

JR足利駅北口の写真です。JR足利駅北口

JR両毛線足利駅からは、
北口より、県道67号線(中央通り)を左折(西方向)に進み、
通1丁目交差点(地下道あり)を通過、間もなく右手側に
観光情報等を提供する「足利まちなか遊学館」が見えてきます。

足利まちなか遊学館の入口を右折(北方向)すると、「足利学校」へ、
足利まちなか遊学館を過ぎ、中央通りをさらに西へ進むと、
一つ目の信号機(手押し式)を右折(北方向(すると、「鑁阿寺」へ。

晩何時への詳細ルートについては、

「渡良瀬橋」車椅子や徒歩で安全に楽しむルートを画像で解説
4 【JR足利駅】
を御覧ください。

<東武伊勢崎線足利市駅から鑁阿寺へ>

北口の写真です。東武足利市駅北口

東武伊勢崎線足利市駅からは、
北口を出て左折(西方向)し、歩道を進むと
中橋(3連アーチ)のたもとにある「足利市駅北交差点」にで出ます。

中橋を渡り、そのまま直進するとJR両毛線の踏切を過ぎ、
通2丁目の交差点に着きます。

通2丁目の交差点の県道67号線(中央通り)を左折(東方向)に進むと、
一つ目の信号機(手押し式)を左折(北方向)し直進すると鑁阿寺に到着します。

鑁阿寺への詳細ルートについては、
「渡良瀬橋」車椅子や徒歩で安全に楽しむルートを画像で解説
3 【東武足利市駅】
を御覧ください。

【鑁阿寺:国宝】

国指定史跡「足利氏宅跡」
真言宗 金剛山 鑁阿寺

鑁阿寺「太鼓橋」と「山門」の写真です。鑁阿寺「太鼓橋」と「桜門」(山門)

お堀に架かる「太鼓橋」(反り橋)は、
安政2年(1855)11月に再建されました。

屋根付の橋には、彫刻が施されています。
(桁行約7.8m 梁間約3.4m)

太鼓橋入り口の写真です。太鼓橋入り口

<鑁阿寺:足利の大日様>

平安時代末期、八幡太郎(はちまんたろう)源義家の子
源義国及び、義国の第2子義康(初めて足利氏を称す)
の2代にわたって、造営された足利氏の居跡跡です。

大正11年、国より史跡の指定を受けました。

<鑁阿寺:桜門(山門):県指定文化財>

室町時代、建久7年、開基 足利義兼公の
創建といわれていますが、兵火にあい、
現在の建物は、永禄7年(1564年)
足利幕府13代将軍足利義輝の再建によるものです。

開基:仏寺または、一宗派を創立すること。

建久7年:(1196)

鑁阿寺「山門」の写真です。鑁阿寺「山門」の扁額(へんがく)と屋根

屋根の菊の御紋章は、勅願所(花園天皇より、
足利貞氏が受ける)とし、足利氏紋章である
「丸に二つ引(足利二つ引)」も示されています。

勅願書:(ちょくがんしょ)時の天皇・上皇の勅命
により、鎮護国家・玉体安穏などを祈願する寺社。

桜門は、俗に仁王門ともいい。両側の仁王尊
(金剛力士立像)は、寺伝では鎌倉時代の名匠
運慶の作といわれていました。

先年実施された「文化庁美術学芸課」の総合調査では、
桃山時代の作といわれています。

出典:金剛山 鑁阿寺(足利の大日様)

<鑁阿寺:大御堂(本堂):国宝>

鑁阿寺「本堂」の写真です。鑁阿寺「本堂」(鎌倉時代)

●本尊:大日如来

建久七年、(1,196年)足利義兼公が建立しました。
本尊は、大日如来、脇本尊として護摩壇に、訳詞入来、
左檀に聖観世音菩薩と聖天様が祀られています。

後方壇に、弘法、興教の二大師、開基鑁阿上人像を始めとして、
明治維新まで、堀の外に存した塔中十二支院の御本尊が
安置されています。

出典:金剛山 鑁阿寺(足利の大日様)

11月3日は大祭日にあたり、
七五三を祝う人々が、多く参拝に訪れます。

本堂の鬼瓦の写真です。本堂の鬼瓦

本堂の鬼瓦は、間近で見ると迫力満点です。

屋根の上で良かったです。
もし、下に置いてあったら、七五三も泣いちゃいますよね。

現在の大御堂(本堂)は、貞氏の改修によるもので、
鎌倉時代の代表的建造物として、平成25年(2013)
国宝に指定されました。

七五三は、お堀の鯉のエサやりに夢中でした。

そして、鳩もたくさん集まってきました。

七五三の健やかな成長を、みんなで願いました。

<鑁阿寺:多宝塔(塔婆):県指定文化財>

多宝塔の写真です。多宝塔(塔婆)

塔婆(とうば):先祖の供養のために立てられました。

屋根の上の九輪(くりん)は、極楽浄土の方向を示しています。

卒塔婆(そとうば=サンスクリット語のストゥーバ)とも
呼ばれています。

「卒塔婆ってなあに?」と言う七五三のために・・・。

「ほら、お墓にお供えする木の板があるでしょう」
「木の板の先の方に、いくつかのギザギザがあるよね」
「あのギザギザが、九輪を表してるんだよ」

「ふぅーん!?」

七五三の写真です。七五三

おじさんの話は、興味なかったようです。

多宝塔の写真です。多宝塔と大いちょう

九輪がよく見える位置から、もう一度。

多宝塔は、足利義兼の創建と伝えられていますが、
現在の建物は、江戸時代の元禄5年(1692年)
徳川5大将軍綱吉の生母、桂昌院尼公の再建によるものです。

塔は、重層、銅板葺、頂上に九輪が立ち水煙がのっています。

出典:金剛山 鑁阿寺(足利の大日様)

水煙:九輪の上にある火炎状の装飾金具で、
火事の連想を避け、併せて水難をおさえる意味をもちます。

本尊は、金剛界大日如来と勢至菩薩で、
両側に十六羅漢が安置されています。

<鑁阿寺:大いちょう:天然記念物>

大銀杏の写真です。

大いちょう

栃木県指定 天然記念物
鑁阿寺のイチョウ
平成10年1月16日指定

鑁阿寺のイチョウは、樹高31.8メートル
目通り周囲8.3メートルの大木で、
地上3メートルのところから2本に分かれており、

どちらも数本に分岐し、地上12メートル付近で
枝が伸び、壮大な樹形をなしています。

広い境内には、多くの樹木が植えられていますが、
この樹は最大のもので幹の太さ、全体の大きさから、
樹齢は550年前後と推定されます。

栃木県教育委員会・足利市教育委員会

栃木県天然記念物 イチョウ(指定:3本)

所在地 樹高・周囲
壬生寺(みぶじ) 樹高19m 目通り周囲5.1m
大野室
大田原市 三嶋神社
樹高30m 目通り周囲6.45m
鑁阿寺 樹高31.8m 目通り周囲8.3m

<鑁阿寺:七不思議:大いちょう>

鑁阿寺 大いちょうの写真です。大いちょう

鑁阿寺の七不思議として、「蛭子さま」「あかずの井戸」
「あかざの柱」などとともに、「大いちょう」もその一つに
あげられています。

大いちょうは、寺の言い伝えによると、
開基足利義兼が手植えしたものとされています。
(最近の専門家の鑑定によると、推定500年とも)

「この大いちょうの根本を、息をつかづに三回まわると、
樹上から白蛇が落ちてくる」という、言い伝えがあります。

筆者は、蛇が怖いので試したことはありません。
それよりも、この大木のまわりを無呼吸で3回まわれることの方が
不思議です。

なお、江戸時代の頃には、「縁結びの神木」とされ、
木の下で、「お見合い」が盛んに行われたとも言われています。

<鑁阿寺:中御堂(不動堂):国宝>

鑁阿寺「中御堂」の写真です。鑁阿寺「中御堂」

寺伝では、開基足利義兼公の創建とありますが、
文禄元年(1992)生実御所国朝の再修によります。

生実御所国朝(足利国朝):初代小弓公方であった
足利義明の孫。

小弓公方(おゆみくぼう):足利義明の敬称。

鑁阿寺「中御堂」の写真です。
中御堂

御本尊「不動明王」は、往古千葉県成田山より勧請され、
興教大師の作といわれ、霊験あらたかな不動明王です。

本堂が、明治41年国宝に指定されるまでは、不動堂と
廊下でつながっていて、四度加行(しどかぎょう)の
護摩法の道場として使用した堂字です。

勧請(かんじょう):神仏の分身、分霊を他の地に移して
祀ること。

中御堂の扁額の写真です。中御堂の扁額

昭和44年、信徒の浮財により半解体修理が実施されました。

商売繁盛を祈念する堂であると同時に、酉年守本尊です。

手水舎の写真です。手水舎

<鑁阿寺:七不思議:あかずの井戸>

古井戸の写真です。古井戸

中御堂の右側に、古井戸の跡があり、800年前、足利氏が
居住した時に使用したといわれています。

真言宗大本山 鑁阿寺 由緒書 より

古井戸にまつわる地元の伝説をお話しします。

古井戸は、足利七不思議の一つで、
鑁阿寺七不思議にも数えられており、
別名を「あかずの井戸」「あけずの井戸」と言われています。

本稿の「おひるこさま」で詳細をお話しますが、
侍女の藤野がお花見の際に、時子に飲ませた水は、
この井戸から汲んだとされています。

義兼の留守中を機会とするエピソード、
侍女、藤野によって企てられた虚偽の密偵ばなしによって、
時子は自害してしまいました。

後に、出家した義兼は、
「この水は、絶対、使わぬように」という厳命により、
フタがつけられたままになっているとの由来があります。

* 鑁阿寺七不思議:「あかずの井戸」「鬼の義兼」
「あかざの柱」「蛭子ひるこさま」「逆さ藤天神」
牛裂うしざき地蔵」「大いちょうの蛇」の七つ。

<鑁阿寺:経堂(一切経堂):国指定重文>

経堂の写真です。経堂(国重要文化財 指定昭和59年)

秋の大祭日は、経堂が一般公開されています。

経堂内には、足利幕府初代将軍足利尊氏公を始め、
15代将軍足利義昭公に至る坐像や、
八角の輪蔵などが安置されています。

残念ですが、密教のため一切の写真撮影は
禁止されています。

一切経堂の写真です。一切経堂

経堂(一切経堂)室町時代
●本尊 釈迦如来

寺伝では開基、足利義兼公の創建となっていますが、
現在の経堂は、応永14年(1407)関東管領足利満兼により
再建されました。

内部に八角輪蔵、(経棚)があり、一切経二千余巻(黄檗版)
が収蔵されています。

出典:金剛山 鑁阿寺(足利の大日様)より抜粋

一切経堂:一切経を安置するための堂。

八角輪蔵:一切経堂の内部に、一切経を収める
回転式の巨大な八角輪蔵。

黄檗版(おうばくばん):江戸時代につくられた
木版大蔵経(だいぞうこう)の一つ。

一切経堂の扁額の写真です。一切経堂の扁額

八角輪蔵は、経堂の中心にあり、中心軸に沿って、
回転させることができます。

回し始めは、けっこう重く感じられましたが、
動き出すと、円滑に一回りすることができます。

一般には、この経蔵を回転させると、それだけで
経典全巻を読誦(どくじゅ)したのと同等の御利益が
得られると信じられています。

<鑁阿寺:鐘楼(鎌倉時代):国重文>

鐘楼の写真です。鐘楼(しょうろう)

建久7年(1196)開基、足利義兼公が
本堂に次いで創建しました。

本瓦葺(ほんかわらぶき)、入母屋造りで
袴腰(はかまごし)附、鎌倉時代の飾りけのない
禅宗様式の代表的なものといわれています。

出典:金剛山 鑁阿寺(足利の大日様)より抜粋

鐘楼の庭園にある心字池の写真です。鐘楼の庭園にある心字池

<鑁阿寺:東門及び西門:県指定文化財>

鑁阿寺東門の写真です。鑁阿寺東門(鎌倉時代)

 

鑁阿寺西門の写真です。晩何時西門(鎌倉時代)

間口二間三尺(4m55cm)、奥行一間三尺
(2m73cm)、本瓦葺です。

創建は、足利義兼公ですが、永享4年(1432)
公文所奉行の再修によります。

鎌倉期の武家造りの簡古、稚朴な四脚門です。

公文所:鎌倉幕府の置いた三機構、侍所・公文所
(のち、政所)・問注所の三つ。

簡古(かんこ):簡素でふるめかしいこと。
稚朴(ちぼく):あどけなく純朴であること。

<鑁阿寺:北門:市重要文化財>

鑁阿寺北門の写真です。鑁阿寺北門(薬医門)

当山開基、足利義兼の子、足利義氏は
父の立てた鑁阿寺維持の為、堀の外に
12の支院(塔中十二坊)を鎌倉時代に建て、
その筆頭(塔頭)を千手院としました。

上記のとおり、もともとは千手院
(せんじゅいん:現在の足利幼稚園の場所にあった)
の山門でしたが、大正4年(1918)に、
鑁阿寺北門として、今の地に移設されたものです。

参考文献:[展覧会図録]『鑁阿寺の宝物』
一山十二坊図(いちざんじゅうにぼうず)

今まで御紹介してきたものは、
鑁阿寺において、有名な建物や天然記念物です。

「でも、北側の駐車場のところにも、いくつか
建物があるけれど、いったいなあに?」

そうなんです、鑁阿寺の中央から南は、
みなさんよく御存じですが、北側の建物となると
よく御覧にならない方も多いようです。

そこで、ここからは、みなさんの御要望に
お応えして、鑁阿寺の北側にある貴重な文化財を
御紹介します。

<鑁阿寺:宝庫(校倉):市指定文化財>

鑁阿寺「校倉(宝庫)」の写真です。

宝庫 (校倉:あぜくら)
大黒堂ともいわれています。

永享4年(1432)公文所奉行の創建とありますが、
現存の建物は、宝暦2年(1752)の再建です。

様式は、校倉風で北関東に珍しく優美です。

元来、当山の宝物を収容した収蔵庫ですが、
42世忍空上人は、此れを他に移して大黒天を
祀りました。

足利七福神の元祖です。

鎌倉期の武家造りの簡古、稚朴な四脚門です。

簡古:簡素で古めかしいこと。
稚朴:純朴であること。

鑁阿寺大黒天の写真です。鑁阿寺大黒天

足利七福神めぐりについては、
足利七福神めぐり「徒歩最短:3時間コース」
を御覧ください。

<鑁阿寺:庚申塔と観世音菩薩像>

庚申塔と観世音菩薩像の写真です。庚申塔と観世音菩薩像

三界万霊(さんがいばんれい)ではなく、
庚申塔を集めた塚で、観世音菩薩像が鎮座しています。

三界万霊:三界におけるすべての霊あるものの意。
三界:欲界(よっかい)・色界(しきかい)・無色界
(むしきかい)

<鑁阿寺:おひるこさま:市指定文化財>

蛭子女尊の写真です。蛭子ひるこ女尊

地元の伝説によると、
鑁阿寺の開基、足利義兼よしかね源頼朝みなもとのよりともに従い、
半年ほど足利を留守にしたときのお話です。

留守の間、時子夫人の慰めとして藤野という侍女が
お花見を勧めました。

花見の途中、のどが乾いたので、藤野がくんだ生水を
飲んだことから悲劇が始まります。

時子は、なんと、生水を飲んでから、
お腹がふくれてしまったのでした。

その後、藤野の企てによって、留守を預かっていた
足利又太郎忠綱ただつなと時子が密通したという虚偽を
義兼に密告します。

虚偽を信じてしまった義兼、忠綱は逃亡し、
時子は身の潔白を信じてもらえず自害してしまいました。

遺言どおり、時子のお腹を開くと、
中から蛭がたくさん出てきました。

花見のときに飲んだ生水に、蛭がいたのでしょう。

藤野は相当の刑罰をうけ、
(ショッキングな刑なので詳細は控えます)

後に、義兼は剃髪ていはつし、居館の中心に鑁阿寺を建立し、
夫人の菩提を弔うため、この蛭子女尊堂を建てました。

蛭子尊の神額の写真です。
蛭子尊の扁額

「蛭子女尊」の御朱印の写真です。「蛭子女尊」の御朱印

なんとも切なくて、悲しいお話ですが、
現在では、安産守護神 蛭児女尊「おひるこさま」として、
敬われています。

* 時子:北条時政の娘、北条政子の妹、北条時子。
* 政子:源頼朝の夫人、北条政子。
* 剃髪:仏門に入る者が髪やひげること。

<鑁阿寺:大酉堂(おおとりどう)おとり様

大酉堂の写真です。大酉堂

大酉堂は、足利尊氏の御霊屋として、室町時代に
建立されました。

当山に残る寛政2年、及び明治5年の伽藍(からん)
配置図には、足利尊氏公霊屋と現在地に記載されています、

<鑁阿寺:御霊屋:県指定文化財

御霊屋の写真です。御霊屋(おたまや)

足利大権現と称し、俗に赤御堂ともいいます。

正和年間、(1312~)の当山伽藍(からん)
配置図にも、境内西北に描かれています。

創建は、鎌倉時代とありますが、現在の建物は、
徳川11代将軍家斉の寄進によって再建されました。

本殿に、源氏の祖を祀り、拝殿に県指定文化財
足利15代将軍像が祀られています。

本殿の裏に当山開基、足利義兼の父、義康、
祖父の義お墓があります。

真言宗大本山 鑁阿寺由緒書きより 抜粋

<鑁阿寺:児童公園

境内内の児童公園の写真です。境内内の児童公園

足利市民にとって親しみ深く、安心して利用できる
児童公園です。

どことなく落ち着いた雰囲気の中に、
元気な子どもたちの声が響きます。

<鑁阿寺:本坊

鑁阿寺本坊の写真です。本坊の表門

 

本坊表門の扁額の写真です。本坊表門の扁額 解脱林(げだつりん)

 

鑁阿寺本坊の写真です。鑁阿寺本坊 唐破風(からはふ)玄関

 

唐破風:日本の城郭建築などにみられる
頭部に丸みをつけて造形した破風の一種。
唐とありますが、日本特有の建築技法です。

破風(はふ):屋根の先端部分で、家へ雨の吹き込みを
防ぐために破風板が付けられています。

本坊 蔵の写真です。本坊 蔵

 

本坊と庫裡と庭の写真です。本坊と庫裡(くり)と庭

 

本坊表門の築地塀の写真です。本坊表門の築地塀(ついじべい)

築地塀:泥土を突き固めて作った塀で、
単に築地(ついじ)ともいいます。

本坊の西隣には、出世稲荷神社があります。
また、鑁阿寺北門の近くに、逆さ藤神社もあります。

詳細については、
もう一つの足利「八雲神社」と三つの神社
を御覧ください。

<鑁阿寺:境内の売店

境内の売店「ひこまや」の写真です。境内の売店「ひこまや」

鑁阿寺西門の近くにある「ひこまや」です。

売店には、「いもフライ」や「はとまめ」などがあり、
子どもたちにも人気の「お休み処」になっています。

主人は、西門を出た斜め向かい、和食「飛駒屋」の
経営者で、すご腕の板前さんです。
(筆者が釣ってきたヒラメを、さばいてもらったことも)

大日茶屋の写真です。大日茶屋

鑁阿寺山門(桜門)の近くにある「大日茶屋」です。

茶屋では、足利の二代B級グルメ「足利シューマイ」と
「ポテト焼きそば」が味わえます。

<鑁阿寺:土塁と堀

鑁阿寺の土塁と堀の写真です。鑁阿寺の土塁と堀

鑁阿寺の周囲は、土塁と堀が廻らされており、
土塁の上を歩くことができます。

<鑁阿寺:庚様塔>

庚申塔の写真です。庚申塔

方形をした境内南西部の土塁には、
庚申塔が鎮座しています。

庚申塔は、土塁を歩く人は少ないため、
あまり知られていないかも知れません。

しかし、土塁の上から見る景色も、
新鮮で、いい感じがしますよ。

<鑁阿寺:太鼓橋>

土塁の上から臨む太鼓橋の写真です。土塁の上から臨む太鼓橋

やはり、一つの寺でも、見方を変えれば
いろいろな世界が広がってきますね。

また、四季折々の景色は、人それぞれに
無限の世界を見せてくれるのでしょう。

「三界に家なし」・・・、解脱できない私でした。

最後まで御覧いただき、ありがとうございました。

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