史跡「足利学校」は、昭和57年(1982)学校の
東半分にあった足利市立東小学校の移転に伴い、
「史跡足利学校跡保存整備事業」が着手されました。
そして、平成2年(1990)12月に江戸時代中期の
姿に復元されました。
さらに、復興25周年を迎えた平成27年(2015)4月24日、
水戸市(茨城県)、備前市(岡山県)、日田市(大分県)
とともに「近世日本の教育遺産群」- 学ぶ心・礼節の本源 -
として、日本遺産に認定されました。
日本最古の総合大学「足利学校」は、
「とてもいい雰囲気の庭園や建物だけど・・・、
展示物が難しくて、よくわかんない」という小中学生も
いらっしゃるのではないでしょうか。
筆者も含めて、展示物の説明書が小さくて読めなかったり、
見えなかったりということもありますよね。
このようなことは、足利学校に限ったことではありません。
博物館などの展示場を、ただ眺めて帰ってきた、
という、たいへん、もったいない経験はありませんか。
そこで、史跡 足利学校に登校?する前に、
本稿で簡単な予習をして、理解(レディネス)を深め、
より有意義な参観にしていただければ幸いです。
* 当ブログ内で掲載している写真は、
すべてオリジナルで、施設管理者の承諾を
得ています。
なお、足利学校へのルートや、学校内の詳細は、
足利市駅から行く「太平記館」と「足利学校」を廻るルート
を御覧ください。
【足利学校:基本情報】

名称 | 史跡足利学校 |
---|---|
所在地 | 〒326-0813 足利市昌平町2338番地 |
問合わせ 電話 Fax |
史跡足利学校事務所 電話:0284-41-2655 Fax:0284-41-2082 |
営業時間 | 4月~9月:午前9時~午後4時30分 10月~3月:午後9時~午後4時 (受付は、終了時間の30分前まで) |
休館日 | 原則第3水曜日 |
参観料金 | 一 般:420円(団体350円) 高校生:220円(〃 170円) * 団体:20名以上 * 中学生以下:無料 * 障がい者:障害者手帳提示で本人と 付添1名無料 * Suica(スイカ) Pasmo(パスモ)の利用可 |
アクセス | 東北自動車道佐野藤岡IC:15分 北関東自動車道足利IC:15分 北関東自動車道太田桐生IC:20分 北関東自動車道佐野田沼IC:20分 |
駐車場 (無料) |
史跡足利学校多目的駐車場:乗用車8台 太平記館観光駐車場:乗用車40台 バス10台 たかうじ君広場駐車場:乗用車35台 (内:軽自動車11台) |
足利学校公式HP | https://www.city.ashikaga.tochigi.jp |
<足利学校周辺地図>
足利学校の観光案内板
【足利学校:催し物<例>】
足利学校では、貴重な特別展が開かれます。
以下、『足利学校パンフレット』より引用します。
市制100周年記念特別展
《 足利学校打の刀剣 》
期日:令和4年2月11日(金)~3月27日(日)
史跡足利学校事務所
栃木県足利市昌平町2338 ℡ 0284(41)2655
特別展の見学は無料ですが、別途足利学校の参観料が必要です。
通常料金 一般420円 高校生220円(小中学生無料、団体割引あり)
休館日 2月16日(水) 3月16日(水)足利学校は、我が国唯一の公開学校として戦国時代に最盛期をむかえ、
全国から多くの学徒が集まりました。当時は儒学を中心とした学問を教えるとともに、医学や兵学などの
実学も教えました。足利学校は、戦国武将や軍師が憧れる場所となっていき、第9世庠主
(しょうしゅ)閑室元佶三要(かんしつげんきつさんよう)の時代に、日向国(宮崎県)出身の刀工 堀川国広が(ほりkわくにひろ)が
「足利学校打」の刀を打ちました。その後、江戸時代になっても
足利学校の名声は続き、「足利学校打」の当県が打たれました。本展では、「足利学校打」の銘のある江戸時代後期の源景国の刀、
「足利作之」の銘のある下坂継正の脇指等を展示します。展示リスト
史 料 名 詳 細 指定・所蔵 1 刀 名 晴雲齋源景國
せいうんさい
みなもとのかげくに元治2年(1865)初代景国が足利学校で
鍛えた刀
刃長 75.3cm 反り 1.3cm
銘表 「晴雲齋源景國足利於學校」
裏 「千時六十九歳而造之 元治二丑年二月吉日」栃木県指定文化財 足利市
2 刀 名 晴雲齋源景國
せいうんさい
みなもとのかげくに慶応4年(1868)
刃長 56.6cm 反り 0.8cm
銘表 「新田家臣尾内修理十八代孫上野産晴雲齋尾内七郎源景國」
裏 「慶應四戊辰年二月吉日於足利學校造之」足利市指定重要文化財 足利市
3 刀 名 越前住下坂継正
えちぜん
じゅうしもさかつぐまさ江戸時代 刃長 54.5cm 反り 1.4cm
銘表 「越前住下坂継正」
裏 「野州於足利作之」栃木県指定文化財 (公財)
足利市民文化財団4 脇指 銘 環
たまき江戸時代 刀工 源清麿、青年期の傑作 刃長 40.4cm 反り 0.9cm
銘表 「環」栃木県指定文化財 足利市
5 刀 銘 大和守安定
やまとのかみやすさだ江戸時代 刃長 82.8cm 反り 2.0cm
銘表 「大和守安定」足利市 6 刀 銘 清光
きよみつ江戸時代 金沢の名工 加州清光の作 刃長 69.3cm 反り 1.4cm
銘表 「清光作」足利市 * 展示環境上の都合により、展示史料の変更及び実史料を写真パネル等に差し替える場 合があります。
足利学校「学校門」
平成27年4月24日、史跡足利学校跡を含む
「近世日本の教育遺産群-学ぶ心・礼節の本源-」が、
「日本遺産」に認定されました。

(友愛会館 まちなかミュージアムより)
受付を済ませ、学校門に向かう前に!
まずは、ビデオを鑑賞しましょう。(14分)
ビデオシアターは、受付の隣の部屋にあります。
このビデオは、足利学校についての概略を、
わかりやすく説明しています。
【足利学校:蔵書】
<足利学校の国宝(指定書籍4種77冊)>
宋本本 | 『文選』(もんぜん)(北条氏政寄進)
『文選』は、中国南宋時代の明州 中国の春秋時代から梁(りょう)までの、 |
---|---|
宋 版 | 『周易注疏』(しゅうえきちゅうそ)(上杉憲忠寄進)
『周易』は、中国周時代の易占いの書です。 |
宋 版 | 『尚書正義』(しょうしょせいぎ)(上杉憲実寄進)
『尚書』は、孔子が編定したといわれ、 |
宋 版 | 『礼記正義』(上杉憲実寄進)
『礼記』は、中国の周時代末から奏・漢時代の |
<国宝 宋刊本 文選(もんぜん)>

● 12世紀 中国南宋時代
● 二十一冊
● 金澤文庫旧蔵本
国宝 宋刊本 文選 [複製]
中国の春秋(しゅんじゅう)から、
梁(りょう)時代までの代表的な
詩文をまとめた詩集です。永禄3年(1560)に、小田原城主
北条氏政が、九華の学識に敬意を
あらわし贈ったものです。

* 「九華(きゅうか)」については、
「渡良瀬橋」から日本遺産 史跡「足利学校」へ
2 足利学校「字降松の伝説」
を御覧ください。

* 九華が答えを書いていたと伝えられています。
はたして、この時の九華は、学徒だったのか、
第7世庠主のころなのか?
足利学校歴代庠主名は、
渡良瀬橋ブログ「資料集」自然いっぱいコーナー!
7 【足利学校】・<足利学校歴代庠主(校長)一覧>
を御覧ください。

『文選』には、本の末尾に北条氏の
虎の朱印があります。虎のうずくまる形の下には、「禄寿應穏」
(ろくじゅおうおん)の4文字が、
刻まれています。「禄(財産)と寿(生命)は、応(まさ)に、
穏(おだ)やかなるべし」「領民全ての禄と
寿を北条氏が守っていく」という意味になる
ようです。印の大きさは、虎の部分を含めると、高さ
9.6cm、方形部分は縦7.4cm、横7.3cm
の二重郭(かく)になっています。
<国宝 宋版 尚書正義(しょうしょせいぎ) >

● 孔穎達注(くえいたつ ちゅう)
* 孔穎達:中国初唐の儒学者
● 12世紀 中国南宋時代
● 八冊
● 版本
孔子が編纂(へんさん)したといわれる
『尚書』の注釈本です。『尚書』は、
『書経』ともいいます。中国の伝説の王朝「虞(ぐ)」から、
周(しゅう)時代(前6世紀頃~前3世紀)
の政治方法を記してあります。
<国宝 宋版 礼記正義(らいきせいぎ) >

● 孔穎達注(くえいたつ ちゅう)
● 12世紀 中国南宋時代
● 三十五冊
● 版本
『礼記』は、周(しゅう)末から前漢時代
(前3世紀~3世紀)の礼儀作法や釈奠
(せきてん)などの礼儀、それに基づく
理想的な政治のあり方などが架かれています。「正義」とは、正しい注釈という意味です。
<国宝 宋版 周易注疏(しゅうえきちゅうそ) >

● 12世紀 中国南宋時代
● 十三冊
● 版本
中国古代の易経(卜筮=ぼくぜい・占い)の本で、
五経(易経・書経・詩経・礼記・春秋)のなかでも
特に重要とされました。注疏(ちゅうそ)とは、解説のことです。
<年筮(ねんぜい) >

● 第19世庠主「実巌宗和」(じつがんそうわ)筆
● 紙盆墨書
● 縦36.0cm 横50.4cm
● 文化4年(1807)1月
年筮とは:その年の吉凶を占った結果。
文化4年(1807)正月に第19世庠主
実巌宗和が献上した11代将軍徳川家斉
(とくがわいえなり)に対する年筮の
[控え]です。占いの結果は、中国宋代の『周易』を
参考にして書いています。足利学校には、第13世庠主「伝英元教」
(でんえいげんきょう)の年筮
(寛文=かんぶん9年 1669)を最古として、
将軍家へ献上した40枚の年筮[控え]が
遺っています。

<年筮献上の日程>
日 付 | 内 容 |
---|---|
11月上旬 | 諸侯の年筮勘考始める。 |
冬至 | 将軍家の年筮勘考。 |
12月下旬 | 年筮町内近村へ配る。 |
1月上旬 | 江戸へ行く支度をする。 |
3~4日 | 足利学校出発。 |
4~5日 | 江戸金地院(こんちいん)到着。 |
15日 | 江戸城本丸白書院にて将軍に念頭の挨拶をする。 |
16日 | 江戸城大広間にて将軍家年筮献上。 |
1月下旬 | 帰国準備。 |
〃 | 江戸金地院出発。 |
〃 | 足利学校到着 |
* 金地院:崇伝は、元和4年(1618)、
二代目将軍秀忠より、江戸城北の丸に約2000坪の
土地を拝領しました。
翌年、亡き徳川家康公を開基に仰いで、
金地院を建立したと言われています。
寺田氏の年筮

<足利市指定重要文化財『足利学校記録』第87冊>

● 第19世庠主「実巌宗和」(じつがんそうわ)筆
● 紙本墨書
● 縦27.8cm 横19.1cm
足利学校第19世庠主「実巌宗和」が占った
将軍家以外の年筮の結果と名前が記されて
います。大名や和尚など、様々な人物の名前が192
あり、その中には「戸田大隅守」(足利版
藩主)の名前もあります。
<足利市指定重要文化財
足利学校記録 雑記 第43冊 >

● 第19世庠主「実巌宗和(じつがんそうわ)」筆
● 紙本墨書
● 縦24.1cm 横15.7cm
● 文化4年(1807)~文化5年(1808ね)
『足利学校記録』は、延宝(えんぽう)8年(1680)
から元治(げんじ)元年(1864)までの足利学校を
集録したものです。「雑記」第43冊は、第19世庠主実巌宗和が書き留めた
文化4年・翌5年の記録です。この1月16日のところに、将軍家への年筮献上の
記録があります。

<『野州足利学校置五経疏本条目』 >

(やしゅうあしかががっこうちごきょう
そぼんじょうもく)
● 第10世庠主「竜派禅珠(りゅうはぜんしゅ)」書写
● 江戸時代 慶長(けいちょう)8年(1603)
● 埼玉県川口市 大智山(だいちさん)
「長徳寺(ちょうとくじ)」蔵
足利学校を再興した上杉憲実(うえすぎのりざね)が、
永享(えいきょう)11年(1439)に定めた書籍の
取り扱い規則です。

足利学校の文化財の詳細は、
渡良瀬橋ブログ「資料集」自然いっぱいコーナー!
6 【足利学校文化財一覧】を御覧ください。
【足利学校:蔵書の曝書】
* 曝書(ばくしょ=古書の虫干し)
<曝書:実施概要>
書院
屋根は栗の板を重ねた「木賊葺き」(とくさぶき)で、
8畳2間の書院造りになっています。
書院の内部は、床の間、違い棚、付書院(花頭窓や
松皮菱欄間付)があり、蒋主の接客の場として
使われたところです。出典:『足利学校』
史跡 足利学校事務所(2000-2019)
史跡足利学校では、蔵書している貴重な古書を守るために、
書院において曝書が行われてrいます。
曝書は、江戸時代から行われていた記録もあり、
秋の風物詩にもなっています。
期 間 | 9月下旬~11月中旬 |
---|---|
時 間 | 概ね午前10時00分~午後2寺30分 |
場 所 | 史跡足利学校復元建物 書院 |
蔵 書 | 国宝77冊、國重要文化財98冊、 市指定重要文化財727冊を含む 約1万7千冊。 曝書は、年約800冊を予定。 |
注 意 | ・天候、温湿度、足利学校事業実施等の 状況により、中止となる場合があります。 (雨天でないこと、湿度が40~70%以内) ・日曜日は、実施して居ません。 (原則火・木・土曜日) ・作業している場所に、立ち入ることは できません。(やや離れた位置からの見学) |
* 曝書:和装本の紙を食害する紙魚(しみ)を
外気にさらして駆除すること。蔵書点検も。

書院庭園の形態をもつ、築山泉水庭園です。
曝書の作業を終えた職員のみなさんが、
蔵書を遺跡図書館に持ち帰ります。
日頃から、大切な文化財を管理してくださり、
ありがとうございます。

足利学校の秋の庭園に咲く花にも、奥ゆかしさを感じました。
史跡足利学校の徹底解説は、
史跡足利学校・入場料・駐車場・歴史などの総合案内<まとめ>
を御覧ください。
最後まで御覧いただき、ありがとうございました。
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m-tさん、コメントありがとうございます。 私もアンタレスの会員ですが、 ジムに…
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