森高千里さんの歌でも有名な「渡良瀬橋」は、
栃木県日光市にもありました。
この2つの「渡良瀬橋」は、いずれも、木造橋から現在の橋に、
架け替えられました。
本稿では、渡良瀬川の源流を巡りながら、
日光市「渡良瀬橋」と「新渡良瀬橋」を訪ねます。
アイキャッチ画像:『秋のわたらせ渓谷鉄道』
川島直人 画 2023カレンダー『直人のスケッチ』より
足利岩下書店にて好評発売中
目 次
【渡良瀬川の源流:日光市・中禅寺湖】
霧にかすむ「中禅寺湖」
渡良瀬川の源、日光「中禅寺湖」から流れ出でる水を辿ります。
東北自動車道宇都宮インターから、日光宇都宮道路(日光道)を通り、
第二「いろは坂」を登りました。
日光「中禅寺湖」の地図は、こちらです。
一日目は、辺り一帯、霧に覆われていました。
視界がよくなかったので、明日に散策します。

中禅寺湖は、奥日光入り口に位置する、標高1269mにある湖です。
日本国内においても、標高の高い湖にランクされますが、
池になると、もっと標高の高いところに存在すると聞いています。
そもそも、「湖」「沼」「池」の定義は厳格ではないため、
賛否両論あるようです。
国土交通省 国土地理院によると、
湖沼等の用語については、厳密に区分することは困難ですが、
スイスの湖沼学者フォーレル(1841~1912)は、
湖沼の深さと水中植物の分布状況から次のように分類しています。湖:水深が大きく、植物は湖岸に限られ、中央の深いところには
沈水植物を見ないもの沼:湖より浅く、最深部まで沈水植物が存在するもの
池:通常、湖や沼の小さなものをいい、特に人工的につくったもの
と、しています。
さらに、上記の定義による代表的な例として
湖:琵琶湖、摩周湖、田沢湖
沼:印旛沼、伊豆沼等
池:満濃池等などがあげられますが、地域の資源としてイメージアップするなど、
湖沼の変更(沼→湖)もあり、旧地名から考察する必要もあります。また、ダムによってできた池でも「○○湖」と名前がつけられており、
地図では、上記の区分と関係なく、その土地で実際に呼ばれている名称が
記載されています。
と、記されています。

そうすると、日本一標高の高い湖はどこでしょうか。
第一位 「中禅寺湖」栃木県日光市
湖面標高:1269m
周囲:25km
成因:2万年前の「男体山」噴火による火山性せき止め湖 と、なります。続いて、
第二位 「榛名湖」群馬県 1084m
第三位 「山中湖」山梨県 980.5m
どの湖も、それぞれの特色があり、すばらしい湖です。
<中禅寺湖湖畔の宿で>
⑴「鹿沼組子」の組み立て


夕飯までの時間を利用して、温泉に入りました。
相棒は、ここでも創作活動?です。
(ほんと、手作業が大好きなんですね)
なにやら、彼女はフロントに電話しながら、
「○○組子・・・くみこ」の連発。
私は、「人の名前を何度も呼び捨てするなんて・・・」
と、思っていたら、「鹿沼の組子さん」ではありませんでした。

「鹿沼組子」(かぬまくみこ)とは、キットの説明書によると、
今から約350年前の江戸時代、日光東照宮は大規模な建て替え工事が
何年にもわたり続きました。鹿沼宿では、その頃材木の下準備、
下ごしらえなど大量の材木の中継地として栄え、多くの人が移り住み、
その中には全国から集められた優秀な匠たちもいました。
その卓越した職人の技術は、この地に根付き・・・。
と、ありました。だから、鹿沼市は今でも、木工製品の産地だったんですね。
この「組子」とは、釘を使わずに組み付ける日本独自の木工技術で、1mmの誤差も許されないそうです。




朝食前、トレーナーといっしょに
「日光下駄ストレッチ」をやりました。
男体山を見ながら、大自然のパワーをを
胸一杯いただきました。

なぜ日光は、「日光彫」や「日光下駄」なんでしょう?
先ほどの、「鹿沼組木」とも関係ありそうですね。
日光伝統工芸組合協議会によると、「日光下駄」は、
歴史(由来・起源):格式を重んじる社寺参入の際には
「草履」を使用するのが原則でしたが、
雪や坂道の多い日光社寺に対応して、江戸時代に草履の下に
下駄を合わせた「御免下駄」が考案されました。特徴(技術・材料):石や坂を歩く際の安定や、
雪をつきにくくするため、下のほうが広い八開きの台木に
竹の皮で編んだ草履表を麻糸で縫い付けて製造します。
夏涼しく、冬暖かいのが特徴です。
と、ありました。
やはり、ここにも匠の技が生かされていました。

豆乳鍋「日光ゆば」
日光といえば「ゆば」も有名ですね。
今回は豆乳鍋で、日光東照宮「献上醤油、味噌」を付けて、いただきました。
⑵ 日光「華厳の滝」
中禅寺湖の北側にそびえる「男体山」
中禅寺湖の鳥居から数分歩けば、すぐ「華厳の滝」に到着します。
滝に向かう途中には、つい、入ってみたくなるような
案内板がありました。

筆者としては、とても関心の深いスポットですが、
熊さんを横目に、華厳の滝を目指しました。
「華厳神社」
「華厳の滝」に行く途中の駐車場内に、
「華厳神社」がありました。
華厳神社は、日光市山内の「日光二荒山神社」が
末社として、2020年6月に神霊が祀られ創建されました。

「華厳神社」の御祭神は、二荒山大神(ふたらやまの
おおかみ)と、水神の水波能売命(みずはのめの
みこと)です。
(今回は水の旅です。水神様よろしくお願いします)
滝つぼへのエレベーター乗り場

高さ97mぼ高さから落下する壮大な滝です。
エレベーターを利用すると、滝つぼを間近に見ることができます。
滝つぼは、爆音と、ほとばしる水しぶきとの豪快なコラボが楽しめます。
華厳の滝の発見者は、本稿のキーパーソン「勝道上人」と伝えられています。
また、「華厳の滝」は、仏教経典「華厳経」から名づけられました。
そして、前述の「勝道上人」は、日光山を開山し、
渡良瀬川と命名したともされています。
「高い所から失礼します」
帰り道、歩道の脇に、さりげなく表示された標高です。
ほんと、高い所にいるんだなと、恐縮 ?しました。
ところで、標高と海抜の違いって何んでしょうか。
国土交通省 国土地理院によると、
日本の土地の測量(地図)での高さは「標高」で表し、東京湾平均海面は(1873年から1879年の平均潮位)を基準(標高0m)として測っていまます。
と、記されています。
今度は、いよいよ渡良瀬川の源流と、日光市「渡良瀬橋」を訪ねます。

【渡良瀬川の源流:日光市足尾町】
宿を後に、第二いろは坂を下り、ルート122で
足尾町に向かいました。

「神子内橋」周辺の地図はこちらです。

⑴ 渡良瀬川の源流
神子内川は、日光市足尾町の薬師岳付近を源頭に
足尾町を流れ、松木川と合流して渡良瀬川となる。
と、されてきました。
しかし、国土地理院地図(電子国土Web)によると、
皇海山(すかいさん)直下を水源とする松木川と、
黒檜岳(1976m)付近を水源とする三沢(三ノ沢)
との合流地点から下流と表記されています。
* 国土地理院 HP:<地理空間情報ライブラリー>
「花のわたらせ公園」内の説明
公園の説明板によると
渡良瀬川は、ここから150m上流の
松木川と神子内川が合流する地点から下流を
渡良瀬川と称してきたが、昭和40年(1965)に渡良瀬川の起点は、
松木川の上流に変更された。
と、ありますので、上述したように、国土地理院による
変更と考えられます。
ここでは、勝道上人由来による、松木川と神子内川との合流地点から下流を
渡良瀬川と呼称します。
⑵ わたらせ渓谷鉄道「足尾駅」

わたらせ渓谷鉄道「足尾駅」の地図は、こちらです。
わたらせ渓谷鉄道の車両
足尾駅周辺案内
駅構内の案内図の下方に、「渡良瀬橋」と記されています。
「渡良瀬橋」は、駅から徒歩で、役4分の所にありました。

足利の画家 川島直人 2015年10月
まっかなもみじが、
枯れた紫陽花を見守っている。
お互いに認め合い、
そう・・・私達と同じだね。2022.11 川島直人水彩画展より
⑶ 日光「渡良瀬橋」と「新渡良瀬橋」
日光「渡良瀬橋」

車両は通行できません。

今までに、いろいろな改修工事が行われてきたことが
よくわかりました。

* 足利市「渡良瀬橋」の橋名板は、
渡良瀬橋から、おすすめ桜スポットの記事内を
御覧ください。
日光「渡良瀬橋」の橋名板(川名)
日光の「渡良瀬橋」平仮名表記はいったい・・・。
残念です。
橋名板が外されていました。

「渡良瀬橋」写真集「自然いっぱいコーナー」
を御覧ください。
日光「渡良瀬橋」バス停

日光市営バスも姿を見せてくれました。




日光の「新渡良瀬橋」は、「わたらせばし」と濁音表記、
反対に「わたらせかわ」と、濁音はありません。
足利市の「渡良瀬橋」と反対ですね。

この上流に行こうとしたら、看板がありました。

足利市の「渡良瀬橋」も工事が始まりました。
(とちまるくん、ここでも橋の長寿命化に貢献していました)
⑷ 日光「渡良瀬橋」上流の「大黒橋、大黒天」
工事中の「大黒橋」

渡良瀬川のふれあい館「せせら」
(国土交通省渡良瀬川河川事務所)
「わたらせ川にかかる橋」より
大黒橋の袂には、なんと大黒様が・・・。
「波之利大黒天」(はしりだいこくてん)

大黒天は、日光に伝えられている大黒天で、
日光の起源に登場する神とされています。
「波之利」の由来は、説明文にもあるように、
勝道上人が日光開山を祈願した折、大黒天が中禅寺湖の
上に現れて、上人の願いを叶えたことによります。
(勝道上人が「足尾」や「渡良瀬」の命名をなされました)
ここから先は、通行止めのため、行けませんでした。

中禅寺湖より流れ出流る水は、
やがて「渡良瀬川」となり、私たちの住む街に届きます。
最後になりますが、改めて日光市に敬意を表します。
そして、森高千里さんが「渡良瀬橋」を歌ってくれたことを
心から感謝したい気持ちでいっぱいになりました。

足利の画家 川島直人 2015年12月
昭和の知らない君の絵に、
なぜか 昭和を感じてしまう・・・
誰も知らない 秋の午後
あの日の声が 聴こえて来る。2022.11 川島直人水彩画展より
最後まで御覧いただき、ありがとうございました。
ブログ内で、御不明な点がございましたら、
お気軽にお問い合わせください。
お問い合わせ先は、こちらです。
[su_button style=”soft” size=”1″ center=”yes” radius=”round” text_shadow=”5px 5px 5px #000000″]ホーム[/su_button]
Y/Kさん、コメントありがとうございます。 足利市内の八雲神社は、松田町と小俣町…
八雲神社は、松田町のものを除き、すべてお参りさせていただきました。小俣町や五十部…
S-様、ご質問ありがとうございます。 「かき菜の中心の茎を摘心・・その後、かき菜…
大変参考になりました。 質問です 中心の茎を摘芯しました。 そうしましたら、かき…
メールアドレス無記入でもコメントは送信でき、 御希望によりニックネームも匿名とし…
m-tさん、コメントありがとうございます。 私もアンタレスの会員ですが、 ジムに…
渡良瀬橋ブログ「プロフィール」、拝見しました。孫のスイミングで、危ないので声はか…
いせやともかさんを想うあまり、 僭越な記事になってしまいました。 どうぞ、お許し…
[…] ほんとうのライブレポートは「渡瀬瀬橋ブログ」さんにお任せして…